2017年7月23日(日)
前人未踏の大記録

 前人未到の大記録

名古屋の夏は
とりわけ蒸し暑い
そこでの大相撲夏場所で
横綱白鵬が大記録

彼は だれより
稽古をよくしたという
なかでも人のいやがる
四股やすり足など

彼の相撲をテレビで見ていて
確かに下半身がどっしりしていて
少しぐらいのことでは
びくともしない

探求心も並はずれ
相手の得意と不得手を知り
立ち合い一つで決まる
勝負もあった

もとより
負ける人がいるから
勝つ人がいる
相手がなければ勝ちもない

相手への敬意
これがあるから
たんなる格闘技ではなく
麗しい相撲文化となる

今はたたえたい
15歳の少年が17年前に
遠く離れた異国からやって来て
前人未踏の大記録

2017年7月17日(月)
草木は伸び盛り

 草木は伸び盛り

未明は雷雨
梅雨明けまじか
この湿度と気温で
草木は伸び盛り

思うに
目で見えないものを見る
この矛盾した言葉のなかに
何かしら否定しきれないものがある

この世のあらゆるものは
役割とそれから生まれるかかわりがある
ぎゃくにかかわり合いから役割が生まれる

しかし
かかわりそのもの
役割そのものは目に見えない
ただしこれは四次元時空間での話

四次元時空間を超えてみれば
かかわりの糸で包み込まれている
この世のあらゆるもの

今まさに
草木は伸び盛り
これを別の目で見れば
あふれるほどの気

2017年7月7日(金)
今年の七夕

 今年の七夕

今年の七夕
九州北部は線状降水帯で豪雨
当地は暦通りの暑さ

最近視聴した
禅僧ティク・ナット・ハン師の録画
そこに印象深い言葉があった
「命は 生もなければ死もない」

人は生まれ老いて死ぬ
これは何人にも当てはまる
たしかに肉体はその通りだ
ならば肉体とともにある心には
生死がないということなのか

ここは
むしろ心を避けて
水面の細波に似た感情と
深くにあって動じない魂とに分け
「魂は 生もなければ死もない」
この方が分かりよいではないか

この暑さ
持つペンも
心なしかゆらゆら

*般若心経にも、「不生不滅」などといった言葉がある。

2017年7月1日(土)
ホーホケキョ

 ホーホケキョ

ホーホケキョ
アレッ 梅雨なのにウグイス
どこで鳴いているのかなと探しても
いっこうに見あたらない

それでも
近くにウグイスがいることは
たしかにわかる

近ごろ
仕事の「見える化」などと
成果などを見えるようにすること
こんなことがよく言われている

しかし
人として大切なことは
なかなか見ることはできない
それでも たしかに在る

例えば
本気 忍耐 勤勉
勇気 誠意 感謝
信用 信頼 共生
人徳 謙虚 友情など

ああ
梅雨空に
響くウグイス
どこに居る

*ここで例示した言葉は、拙著『元気の風』で元気言葉として表した。

2017年6月25日(日)
挿したサツマイモのつる

 挿したサツマイモのつる

細い糸のような雨
今年もやっぱり巡ってきた
梅雨らしい日

おかげで
挿したサツマイモのつる
しっかり根付くに違いない

こうして
時の流れを感じ
空間の有様を感じ取る
そうして感じた時空を超える

そこに存するのは
いつも温かく自分を見守る
「第二の自分」

「第二の自分」から見れば
この不自由な時空間にあって
それなりにやっているではないか

挿したサツマイモ
たっぷり夏の陽射しを浴び
秋には恵みの収穫

2017年6月19日(月)
庭の紫陽花

 庭の紫陽花

今年は空梅雨
それでも庭の紫陽花
時を知って鮮やかに咲いた

この「空」
存在することと
存在しないことが
表裏一体で入っている

そのことが
「般若心経」では
色即是空 空即是色
こんな言葉になっている

この大自然の姿
眼耳鼻舌肌の五感に
すべて頼り切っていると
なかなか分からない

ああ
見えない時を知って
鮮やかに咲いた
庭の紫陽花

2017年6月11日(日)
心地よい初夏の風

 心地よい初夏の風

今日は朝から薄曇り
陽射しをやわらげる薄雲に
心地よい初夏の風

最近の気になる言葉
歴史学者A・J・トインビーの
宇宙の背後にある精神的な存在
しかも死ねばそこに還るという

遥か138億年の歴史と
430億光年の巨大な空間
通常の物質はほんの5パーセント
けれど暗黒物質は27パーセント
暗黒エネルギーは68パーセント
このように言われている宇宙
そんな宇宙の背後にある存在とは

その存在を推し量るに
「第二の自分」のように
いつも意識できる時空間から
少し離れないと分からない存在

この少し離れるということは
雑念のさざ波をぴたりと鎮め
心中に水鏡をつくり
無の境地になる
これかな

*A.J.トインビー(1889-1975)は、名著『歴史の研究』を著した。ここでの気になる言葉は、『トインビーと”あなた”との対話』毎日新聞社で出会った。

2017年6月3日(土)
ドングリの木

 ドングリの木

強風が終日吹き
緑増した葉々が
息するように裏返し
樹木が白っぽく見える

こんななか
飛び込んできたビッグニュース
アインシュタイン予言の重力波
3度目の観測に成功

この重力波は
巨大質量の天体が衝突したりすると
宇宙を構成するすべての物質が
ほんのわずかに振動するというもの

こんなニュースに触れると
普段はあたりまえとし
ほぼ絶対としてきたことが
ほんとは絶対でないことに気づく

ヒトの認識メカニズムは
電気に置き換えられてするが
電気に置き換えられる以前
そこに気づきの扉がある

父母の誕生以前
地球の誕生以前の
無分別 無差別 無心
そこにも気づきの扉がある

強風にあおられ
葉々が裏返って
白っぽく見えたのは
ドングリの木だった

*このニュースは、「今年1月4日にLIGOと呼ばれる観測装置で重力波がとらえられたことが明らかになった」というもの。なお、重力波は「宇宙のさざ波」とも呼ばれている。

2017年5月28日(日)
雨の日も晴れの日も

 雨の日も晴れの日も

雨の日も晴れの日もある
今日は 久しぶりで
からっと晴れた

思えば
空中の水蒸気は
冷やされて水滴となり
その集まりが雲となり雨となる
そして川や地下水となり
海に下る

空中の二酸化炭素は
植物の光合成で吸収され
生物の呼吸で放出される
海面からの吸収もあり
人間の営みによる放出もある

死んだ生物体のタンパク質は
バクテリアなどで分解され
再び植物に吸収されたり
空中に入り込む

そう言えば
A.J.トインビー氏は
死に際して 人間の魂は
宇宙の背後にある精神的な存在のなかに
再吸収されるという

ここにあるのは
人間には 魂というものがあり
宇宙の背後にある精神的存在から生まれ
死ねばそこに還るというもの

A.J.トインビー氏は、名著『歴史の研究』を著した歴史学者。ここでは、『トインビーと”あなた”との対話』(毎日新聞)を参照。

2017年5月19日(金)
大樹の木陰で

 大樹の木陰で

5月の風渡る芝生園
ウグイスのさえずりを耳に
大樹の木陰で
太極拳

師範に合わせ
ゆっくりゆっくりと
手足と体を動かす
呼吸も深く長く

やがて
我と地  我と天
そして 地と天と我が
一つになった気分

その後は
18人が車座になって
おにぎりをほおばる
お漬物やお菓子の差入れも
かわされる会話がはじけて
笑顔が花また花に

大きな青い空のもと
新緑に赤っぽさ白っぽさ黒っぽさ
小鳥のさえずりにバラの香り
まさに天地と命ある物が一つに

2017年5月14日(日)
ナンジャモンジャの花を

 ナンジャモンジャの花を

ここは平成こどもの丘
まるで真綿を被ったような木
近づいてよく見ると
ナンジャモンジャだった

聞けば
関東の方では

何かよく分からない大木を指して
「あれは なんじゃもんじゃ」
などと言われるそうな

思えば
人の心もなんじゃもんじゃ
心境が少し高まったかなと
そう思った一瞬の隙に
崖っぷちから転落

本心を求めながら
求めている本心が分かる
分かっかたら離さない
ここなんだなあ

ナンジャモンジャの花を
1つ手に取って取って放り投げると
くるくると回りながら
ゆっくり地に落ちた

*ナンジャモンジャは、ヒトツバタゴ(モクセイ科の落葉高木)の俗称。

2017年5月5日(金)
今日はこどもの日

 今日はこどもの日

今日はこどもの日
2歳3か月のあっくん
桶の上蓋が開いて
飛び出す言葉

カアチャン トウチャン
バアチャン ジイチャンはもとより
ハタケ イコカ
サンポ イコヨと二語文も

興味ある新幹線は
列車の写真を見ただけで
ノゾミ ハヤテ コマチと
瞬時に見分けて言う

ヤダヤダ 
ときにイイヨ
ダッコにオンブと
意思表示もする

まるで言葉の桶から
飛び出すように
出てくる言葉

このごろの自分は
思い出せない言葉が増えたのに
あっくんは新たな言葉がどんどん増えている
これも人生の序盤と終盤の違い

2017年4月30日(日)
新緑を渡る風

 新緑を渡る風

戸外の力仕事は
汗ばむほどの陽気
目前の茶畑の新緑は
もっとも美しいころ

そんな茶畑のうえを
意識体となって
ふわりと飛んでみた

なんとまあ
気持ちのよいことか
まさにこの世の極楽

そのときの自分は
衣服はあるとしても
その外の物は何もない

ところが
普段の生活では

あれが欲しいこれが欲しい
こうなってああなって欲しいと
さまざまな欲が湧いてくる

生活の欲は
進歩向上につながり
種の保存につながる
この意味ではそれでいい

でも
ある歳になったら
何もない無になった心地
この境地も体得しておきたいな

ああ
新緑を渡る風
風とともに渡る意識体

2017年4月22日(土)
このごろの山肌

 このごろの山肌

このごろの山肌
元々の深緑に広がるさ緑
まだらに飾り立てるヤマツツジ
競い合うように変わっている

ほんとは
形あるものはすべて変わる
ただ そこにある違いは
時間の長い短いだけ

変わらないものは
目に見えず 耳に聞こえない
鼻で嗅げず 舌で味わえない
手で触ることもできない

そこにあるものは
例えば 愛 仁 道
あるいはまた
役割 使命

同じ「さ緑」でも
白みがかっていたり
赤みがかっていたりと
同じ色合いはない

2017年4月15日(土)
みごとな満開桜

 みごとな満開桜

今日は
花曇りの週末
平成こどもの丘は
全山がみごとな満開桜

天のさじ加減
いつ どこで どんな力が
どのようにはたらいたか
人知の及ばぬところ

料理では
あまりこってりしすぎても
あっさりし過ぎても
うまみが出ない

人生でも
あまり執着し過ぎても
あっさりあきらめ過ぎても
よい成果が出ない

今年は
このところのぽかぽか陽気で
染井吉野も山桜も一気に開花
絶妙な天のさじ加減

2017年4月8日(土)
桜の話題に

 桜の話題に

桜の話題に
事欠かないこのごろ
平和に慣れ切った日本を思う

政治学者のハンチントン氏は
『文明の衝突』を著し
現代の主要文明として
中華 日本 ヒンドゥー イスラム
西欧 ロシア正教会 ラテンアメリカをあげている

そうして
このような多文明的な世界にあって
建設的な進路は
普遍主義を捨て多様性を受け入れ
共通性を追求することとしている

結びとして
来たるべき時代には

文明の衝突こそが
世界平和にとって最大脅威
文明にもとづいた国際秩序こそが
世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置としている

ここで気になるのが
追求する多文明の共通性として
殺人 詐欺 拷問 迫害 専制政治などを
避けたい共通悪としている

立ち止まってみれば
避けたい共通悪の反面
共感 協調 知足 利他
敬意 博愛 秩序 公正などを
併せて求める共通課題としたくなる

桜に酔いしれず
平和を求めて止まぬ心
これこそ今一度留め置きたい

*サミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』1998年、集英社、59、489、494頁等参照。

2017年4月2日(日)
ウグイスの囀り

 ウグイスの囀り

青い大きな空のもと
やや湿り気を含んだ春風
ウグイスの囀り

これら春の風情
ヒトは 感覚器官で受け取り
信号として脳に伝え
処理がなされる

思えば
脳だけでなく五臓六腑も
さらには すべての細胞もが
38億年の生命史を有している

そうかと思えば
体をつくっている細胞は
絶えず新しくつくり変わり
7年もすればすべてつくり変わるという

このように
体がつくりかわるなか
生命史を受け継ぐ何かがある
それは 遺伝子なのか
知識や経験以前の心なのか
この両方なのか両方でないのか

春野菜の支度を
畑でいそしむなか
心地よい春風とともに
耳に飛び込むウグイスの囀り

*山田無文著『維摩経法話上』1968年、春秋社に「人間の本心というものは、知識と経験でつみあげられた自我ではなく、万人共通な、普遍的な人間性、知識以前、経験以前の”心”であると思います(224頁)」と記されている。

2017年3月25日(土)
トサミズキの花

 トサミズキの花

桜の蕾がふくらむころは
トサミズキの花が山肌を飾り
春の生気がそこはかとただよう

万物は流転し
生成と消滅を繰り返す
この世に固定した実体はなく
あるのは脳が描く姿

脳が描く姿は
もとより 実体ではなく
実在しているものを強いて挙げれば
事象と事象の間の関係性だけ

求める心も 
その実体はなく

あるのは関係性だけ

その関係性を映す心が
永遠の時間の流れのなか
無限の空間の広がりのなかに
満ち満ちている

それにしても
春の生気があふれ
のどかな風情を醸し出す
トサミズキの花

*関係性は、科学的には法則など、数学的には定理など、一般的にはかかわり方・はたらき方などと、とらえることができる。

2017年3月19日(日)
種ジャガの植付け

 種ジャガの植付け

明日はもう春分
うららかな陽射しを浴びて
前もってよく耕した畑に
種ジャガの植付け

このジャガイモの原産地は
南米アンデスとのこと
地球の真反対のモノを
しかも普段はそんなことは
意識すらしないモノを
今ここに触れている

立ち止まってみれば
これはほんの一例にすぎず
地上のモノはすべて
空間と時間を超えて
深い浅いのかかわりがある

ところが
ヒトの分別智が

みごとに選別や区別や判断をしている
これによって生活ができてはいるが
そのために失いがちなことがある
それは 深い浅いかかわり

まだたどたどしい
ウグイスの鳴き声を耳に
インカ文明の地からの贈り物を
今ここに植付ける


*宇宙物理学者の佐治晴夫氏は「佐治博士のへぇ~そうなんだ」最終回で、「この世界には客観的な実在はなく、あるのは、私たちが意識しているさまざまな事象の間にある関係性だけです。」と述べている。

2017年3月11日(土)
そこに在るものをあえて

 そこに在るものをあえて

日本には大和時代の前に
約6百年続いた弥生時代があり
約1万年前続いた縄文時代がある

国際政治学者の中西輝政氏
その著書「国民の文明史」のなかで
日本は一国で1つの文明をなすとし
その文明史の大きな構図として
縄文的なるものと弥生的なるものがあり
この二重奏に天皇の役割が重なるという

そうして
その文明史のなかで
外来の文明を取り入れて
弥生化する時代には
いつも大変な課題があったが
やがて2、3百年で成熟してきたという

結びとして
21世紀の日本の大目標
それは「国家としての自立」と
「日本人のアイデンティティの回復」
とくにこのグローバル化の時代では
「日本人の心」を持つ意味に気づき
柔軟さ  したたかさ 謙虚さなど生まれれば
日本の文明史は成熟に近づくという

そうそう
日本の庶民信仰箇条として
人間はその本性において
神および仏と一体であり
もともと同じところから生まれ
そこへ帰って行くことを知れば
日々の行い 心の持ちよう
日々の糧に恵まれるだろう
こんなことも述べている

ここに至っては
日本人だけではなく
ヒトも 生き物も
神仏と一体であり
無限なるものと永遠なるものと一体
そこに在るものをあえて言えば
目には見えないけれど
役割とかかわり

*縄文的なるものは、柔軟さ・たおやめぶりなど。弥生的なるものは、したたかさ・ますらおぶりなどを表している。

2017年3月6日(月)
開き始めたコブシ

 開き始めたコブシ

この暖かさで
我が家の庭のコブシ
一輪また一輪と開き始めた

現代は
ヘレニズム時代に似ている
これはドイツ文学者の西尾幹二氏の説

その理由は2つ
アレクサンダー大王の東征で
ギリシャの都市国家が世界国家になった
このことが 国際化で
国境の壁が低くなった現代に似ていると

もう1つは
ヘレニズム時代の特徴に
理性への信頼はあるのに
個人が自分の孤独にどう対処してよいか
わからないという不安があった
このことが現代の特徴に似ていると

さらに 西尾氏は言う
光は今 我々を包んでいる
なぜなら 我々は自由だから
しかし 光の先にはなにもなく
光さえもないことが見える
なぜなら 自由であることだけでは
人間は自由になれない存在だから

そうして 次のように結ぶ
この長い歴史をめぐる物語は
神仏を信じることができない時代に至った
人間の悲劇の前で立ち尽くしている
この自覚で閉じることは遺憾

ちょっと待ってよ
心のなかにある
無限空間と永遠時間に
立ち至ればどうなる
その悲劇の突破口にならないか

ああ
開き始めたコブシ
このなかにも無限空間と永遠時間を
垣間見できるはず

*西尾幹二著『国民の歴史』1999年、産経新聞社、746~467頁参照

2017年2月27日(月)
このカスケードも

 このカスケードも

県緑化センターのカスケード
水深数十センチの滝壺の底
モミジ ハナノキ コナラなどの
落葉が積っていた

ふと思うに
人は生まれ育ち
老いていくなかに
経験と知識を積み重ねる

そうして
いつの間にか
経験と知識が積み重ねられているのが
自分であると思い込む

ほんとうは
それらが積み重ねられた自分ではなく
それらを受ける器が
その人自身

このカスケードも
さらさらと流れる水と
水底に積った落葉が本体ではなく
それらを受ける器が
その本体

2017年2月20日(月)
午後からの雨

 午後からの雨

早朝のジョギング
茶畑の小道ではなく
地球の上を走っているようだった

昼前の畑仕事
我が家の小さな畑ではなく
地球の表面を耕しているようだった

こんな感覚
サン・テグジュペリの名作
「星の王子さま」に出てくる
小さな星に居るようだった

つられて
星の王子さまの言葉

「大切なことは目に見えない」
「心で見ないとわからない」

午後からの雨
「もう春だよ」と
木々にささやいていた

*この時期の雨は、「木の芽起し」と呼ばれている。

2017年2月14日(火)
庭の白梅

 庭の白梅

朝晩 氷点下の日々
それでも 庭の白梅
蕾が少しずつ大きくなり
今まさに咲かんとしている

朝方の夢
無限と永遠の説明に四苦八苦
無限を言うのに宇宙の大きさ
永遠を言うのに宇宙の誕生から

夢から覚めて
とてつもなく大きな空間
とてつもなく長い時間
そこが大事と気づく

いやむしろ
無限と永遠とを
心に映すことができるか
そこが大事と気づく

今まさに花開かん
庭の白梅の蕾
まだ見ぬ梅の花を
どれだけ心に映せるのかな

*宇宙の大きさは約430光年、宇宙の誕生は約138億年前と言われている。

2017年2月7日(火)
早春の陽射し

 早春の陽射し

早春の陽射し
日に日に明るさが増してきた
それでも 外気は
まだ暖かさがついてこない


山田無文老師
「本心を求めている
そいつが本心と分かれば
求めるものは何もない」と

この言葉に導かれて浮かぶ
こうしてペンを走らせている自分を
十方から温かく見守る
第二の自分

この地球上の
この国この地に生まれ
家計生計にも不自由しない
これを何とするか

外気が冷たいのなら
自身の内気を温め
周りを温める
これを何とするか

*山田無文老師の言葉は、『臨済録上巻』1993年、禅文化研究所、138頁参照

2017年1月31日(火)
寒中とはいえ

 寒中とはいえ

寒中とはいえ
柔らかな陽射しを浴びて
一輪二輪と咲き始めた紅梅

寒中の畑仕事は土づくり
生ごみや落ち葉などで堆肥をつくり
つくった堆肥を土に入れ込み
耕して空気を入れる

ときには無心で
土起こしをしていると
ふわっーと宙に浮く心地

しばらくして
広大無辺にして極小微塵
極小微塵にして広大無辺 
悠久永遠にして
刹那一瞬
刹那一瞬にして悠久永遠


こんな心地でいると
役割からかかわりが生まれ
かかわりから役割が生まれ
そのなかでゆらぎ存する我

咲き始めた紅梅
香りは 芳香となり
無限空間に漂う

*我が家に、八重と一重の紅梅がある。八重の方が、早めに咲き始めて香りも若干強い。

2017年1月24日(火)
厚目の氷も

 厚目の氷も

朝起きて見れば
寒波到来で 外は霜化粧
厚目の氷も張っていた

こんななか
アメリカ ファーストと
唱えてはばからない
新大統領が就任

白人労働者などに多く支持され
国益を最優先に掲げた新大統領
外国ではやむを得ないにしても
国内でも抗議デモ

もとより
自分を大切にすることは
他人をも大切にすること
自国を大切にすることは
他国をも大切にすること

人生 たかだか100年
人類誕生からは20万年
生命誕生からは38億年
元をたどれば一つ

年明けは穏やかであったのに
ついに 寒波到来
さてさて この次は

大波到来なのか

大波で
はじめて気づく
こともある

*2017年1月20日、トランプ新大統領が連邦議会議事堂前で就任演説をした。

2017年1月17日(火)
身に応える寒風

 身に応える寒風

冬 真っ只中
身に応える寒風
こんななかで浮かぶ
今 大変な時代

地球の裏側の出来事が
瞬時に伝わる
自分の体内までもカメラで
リアルに見ることができる
AIがロボットだけでなく

車 家電 ドローン等を操作する


待てよ
ここに共通すること
すべてが電気信号による
神経細胞の認識メカニズム

この認識メカニズムに
頼り切っている
第一の自分

それはそれとして
身に応える寒風
大変な時代などと
認識する第一の自分を
温かく見守る自分がある

*脳を構成する個々の神経細胞一つ一つが、興奮と抑制の二過程、二値状態を取ることが明かされたのは、1940年代になってからのことである(西川泰夫著「認知行動科学」245頁参照)。

2017年1月10日(火)
輝く日輪

 輝く日輪

寒中の日の出
東の山際の変わりよう
茜 蜜柑 象牙の色へと移り
そうして 輝く日輪

朝刊の社説のなか
今のところはAIの得意は
「意味」の理解なしにできること
AIの不得意は
「意味」を理解すること

さてさて
この「意味」は
その内容に止まらず
ときには ねらいや価値を含み込み

AIだけではなく
人も 暮らしのなかでは
ほとんど意識すらしないこの「意味」
ましてや「人生の意味」

ああ
輝く日輪
命のもとをたどれば
すべてこの日輪

*ここでの社説は,「歴史の転機ー人工知能」(毎日新聞2017.1.10)と題する記事。AIは、人工知能(Artificial Intelligence)のことである。

2017年1月3日(火)
今年の三が日は

 今年の三が日は

今年の三が日は
昨年と同じように
暖かくて穏やか

「日本の針路は」と題する新聞の社説
「持続可能な国内システムの
再構築に努めながら
臆することなく
世界とのつながりを求めよう」
このように結ばれていた

それはそれでよいのだが
今さらの感あり
なぜだろう

38億年の生命史のなか
近くは 20万年の人類史のなかで
様々な民族 国家 文明 文化が生まれた
でも 元をたどればたった1つ

「和の文化」「恥の文化」など
「麗しい日本文化」の底をぶち抜いた
人類共通の人間性に基づいた
共存共栄の社会の構築
これがなければ何としよう

人と人 国と国
まずは魅力がなければ
つながらない

穏やかな三が日
おしなべて今年1年も
天地人のつながりに気づく
心温かな年であればいい

*ここでの社説は、「歴史の転機ー日本の針路は」(毎日新聞2017.1.1)と題する記事。

2016年12月25日(日)
クリスマスのこのころは

 クリスマスのこのころは

クリスマスのこのころは
寒波が押し寄せて来るのに
今年は思いのほかあたたかい

そんななか
重度知的障がい者施設のHさんから
拙著への一口感想が届いた

目に見えない心の言葉が
きこえてくるようで
心あつくしております

このように
読み取っていただく方がいて
こちらも心があつくなった

きっとこの施設の方々も
あたたかなかかわり合いに
満ち満ちているに違いない

予報によると
今年は平年並みの寒さというが
心はぽかぽかとあたたかい

*ここでの拙著は、『詩集  一生一度』北辰堂出版。この施設は、滋賀県東近江市にある止揚学園。

2016年12月18日(日)
ガラス越しの日の光に

 ガラス越しの日の光に

今日は小春日和
ガラス越しの日の光に
柔らかなぬくもり

山田無文老師の
維摩経法話のなかに
わたしどもの心中には
赤ん坊のようなきれいな
鏡のような清浄な心がある
これを無我というと

つづけて
わたしどもには
体を持ち生活している自我と
仏様と少しも変わらぬ仏性があると

そうすると
無我と仏性は近い
しかも 自我と無我とは
不二にして表裏一体

さてさて
この無我の目で
ガラス越しの日の光を見ると

なんということだ
日の光がワレ
ワレが日の光
ワレと日の光は一体

*山田無文著『維摩経法話上』1968年、春秋社、弟子品第3参照

2016年12月10日(土)
ウコンの水洗い

 ウコンの水洗い

寒風のなか
ウコンの水洗い
ふと我が手を見ると
アレッ もうしもやけ

体は環境に
すぐに反応する
そんな体に今しばらく
お世話になる

維摩経のなかに
体には 色身と法身があると
これは肉体としての体と
真理としての体

肉体は道具としてあり
道具を使う高い精神がある
この高い精神こそ本当の自分
このように説かれている

しもやけのできる体
これをまず意識し
これを超えなむ

*ここでの「高い精神」「本当の自分」は、「第二の自分」とほぼ同じ。維摩経は、山田無文著『維摩経法話上』春秋社、166頁参照。

2016年12月3日(土)
サザンカや

 サザンカや

今年も
庭のサザンカの花が
風のない光のどかななか
次々に咲き始めた

巡る季節の花
長い目で見れば
咲いた花はやがて散る
散った花は地に還る

万物も
有から無 無から有
色から空 空から色
生まれ変わり死に変わる

ああ
サザンカや
このひとときを
やかん

*色(しき)は、物質的存在。空(くう)は、固定的実体がないこと。(広辞苑より)

2016年11月27日(日)
あっくんが来た

 あっくんが来た

1歳9か月になるあっくんが来た
朝起きると直ぐにすることは
お気に入りの玩具の箱を開け
床を叩いてここに道を作れと催促

じいちゃんは「ジィ」
ばあちゃんは「バァ」と
言葉は言えなくても
それらしき声を出す
大人の言うことは
暮らしの単文ならよく分かる

食べることには目がなく
「チョ」「チョ」とかわいい手が出る
好きなものは パンにチーズ
バナナ ナシ ミカンなど
卵はアレで控えている

このごろ しっこやうんちは
「チィ」「チィ」と教えるようになった
やはり 食べることと出すことは
ヒトの生きるもと

長い人生のスタート
大人が忘れているスタートを
思い出させてくれる
あっくんの姿

2016年11月19日(土)
人生の達人

 人生の達人

昨日の小春日和一転
今日は 朝から
冷やかな雨

こんななか
A氏の話が浮かぶ
気持ちのよい朝の散歩
庭いじりや孫との語らい
こんなことに幸せ感を
体で感じると

そう言えば
何も特別なことをしなくても
平凡な暮らしのなかで
幸せを感じることはいくらでもある
それを全身で受け止められるのが
人生の達人

みんなが
人生の達人になれば
この世がそのまま天国
極楽浄土

昼過ぎから雨も上がり
空気が急に暖かくなった
湿り気もあり快適
ありがたいな

2016年11月11日(金)
こんな小春日和には

 こんな小春日和には

昨日の寒気一転
今日はポカポカした小春日和
庭の小菊が福々しく咲いた

ヒトの体の仕組み
役割を持った細胞が集まり
五臓六腑とその働きをつくり
これらを骨格と筋肉が支えている
さらに 血管と神経を張り巡らし
そこに養分や情報などを通して
脳がまとめ役をしている

はたして
脳だけがまとめ役なのか
脳の受信と送信の信号は電気
それで60兆もの細胞を
制御し切れるだろうか

ここにも潜んでいる
目に見えない「第二の自分」
こんな小春日和には
つい身近に感じる
「第二の自分」

:*「第二の自分」は、「第一の自分」を温かく見守り、無限の世界と永遠の時間に通じている。(再)

2016年11月4日(金)
畑での対談

 畑での対談

秋晴れの畑での対談
数か月前にご主人を亡くされたOさん
「幸せは金ではないよね」と
生前のご主人の言葉

お金は
生活には欠かせないし
お金で欲しい物を買えるし
望む旅行にも行ける

でも
お金がもとで
不愉快や仲違い
心配事や争い事も起きる

これは
お金を活用する人と
お金にとらわれ過ぎる人との違い

お金では幸せは買えない
幸せはお金ではない

幸せを突き詰めると
本当の自分に出会えること
これが 最高の幸せ
本当の自分は
「第二の自分」でもある

「お先に」と
笑顔を残して帰られたOさん
その足取りには
吹っ切れた軽さがあった

2016年10月27日(木)
庭の落ち葉

 庭の落ち葉

このごろ毎日のように
降り積もっている
庭の落ち葉

今日も 落ち葉かき
すると いきなり光が
眼のなかを鋸状に走った

あれあれ いよいよ
認識メカニズムに変化があり
異次元世界を垣間見できるのかな
こんな思いが走った

しかし
それはいっときのこと
なかなかそうはいかなかった

かき集めた庭の落ち葉
よくみるとコブシだけでなく
ウメもテッセンも混じっていた

*電気力による認識メカニズムは、3次元空間でしか成り立たないことが明らかになっている。(再)

2016年10月22日(土)
シュウメイギクが

 シュウメイギクが

庭の片隅で
シュウメイギクが次々と咲き
今が花盛りとなった

この花を見る視覚は
電気の信号となり
脳に伝えられ 符号化し
貯蔵される

花を見る視覚だけでなく
聴覚 臭覚 味覚 触覚と
電気信号に置き換えられ
保持し ときに想起される

さて 心を開いて
天地宇宙に通じるには
電気力による認識メカニズムを
越えることなのかな

シュウメイギクが
出番を待つ蕾を従えて
凛と咲いていた

*この電気力による認識メカニズムは、3次元空間でしか成り立たないことが明らかになっている。

2016年10月14日(金)
サツマイモ掘り

 サツマイモ掘り

今日はサツマイモ掘り
掘りだしたイモは
ねじれたり
瓢箪の様になったりしていた

イモのその形が
今年の猛暑に次ぐ猛暑に
苦しみ抜いたことを
如実に語っていた

収穫したイモを
ゆでて食してみると
これがなかなかおつな味

人も同じ
苦しみ抜いた人には
それなりの味

サツマイモ
ほうばる一とき
人の味

2016年10月6日(木)
台風一過の晴天

 台風一過の晴天

今日は
台風一過の晴天
久しぶりの紺碧の空

この紺碧の空を
ぶち抜いて見れば
なんとまあ 漆黒の闇
でも 宇宙から見れば
それが当たり前

この煩悩の心も
ぶち抜いて見れば
これまた 漆黒の闇
光もない 音もない
香りもない 触るものもない

ヒトは地球大気に守られ
地球の水に守られ 緑に守られ
太陽の光に守られている
それは宇宙から見れば
当たり前ではない

そう言えば
嫌われ者の台風も
地球大気の一つの動き


*私たちは、一番身近な大切な存在に気づかないことが多い。

2016年9月30日(金)
金木犀の香り

 金木犀の香り

今朝 玄関の戸を開けると
ほのかに漂ってきた
金木犀の香り

C.G.ユングは
40歳前後を人生の正午とし
午前はアイデンティティを確立していくとき
午後は死や無意識などを受容していくとき
このように述べている

晩年の孔子の言葉
志学 而立 不惑 知命
そうして「60にして耳順う」
「70にして心の欲するところに従えども矩をこえず」
このように述べている

孔子がそう述べた歳に近づいた今
そういうときも
そうでないときもあった
いずれにしても
もう言い訳はできない

ああ こんなときでも
やわらかく包み込むような
金木犀の香り

*C.G.ユング(1875-1960)は、分析心理学を創始した心理学者。孔子(B.C.552-479)の言葉は、『論語』為政第二による。

2016年9月24日(土)
この秋雨前線で

 この秋雨前線で

この秋雨前線で
もう 2週間近く
雨が降ったり止んだり

これも 日本の四季
こんな天候を映してか
よく雑念が浮かんでは消える

この雑念は
消そうとしてもなかなか消えない
でも 知らぬ間に消えていることも
しつこく居座っていることもある

やはり この雑念
その都度  スッと消す
そこは 普段の精進がものをいう

今は夏から秋へのせめぎ合い
あるときは 南へ一歩進み
あるときは 一歩退く
一進一退の秋雨前線

*雑念を振り返ってみると、「あれやこれやの計らい」が多い。そんなときは長い目・広い目、あるいは深い目でみる切り換えがいる。

2016年9月18日(日)
今年もヒガンバナが

 今年もヒガンバナが

空地に草刈りに行くと
今年もヒガンバナが
燃えるように咲いていた

ふと時空に意識が飛ぶ
ある宗教は空間から心を開き
またある宗教は時間から心を開いた

この世の有限なるものは
神という名の無限なるものへ
すべてをそこに委ねるとした宗教

この世のあらゆるものは
相互に依存し かかわり合って
輪廻転生の渦のなかにあるとした宗教

わたしたちは
無限のなかの限られた世界で
過去 現在 未来への時の流れのなか
今ここに ゆらぎをもって存する

燃えるように咲いた
今年のヒガンバナが
秋風にゆれていた

*「すべてを神に委ねなさい」と説くキリスト教、「不生不滅」などと説く仏教。いずれも「心を開くこと」への道と解することができる。

2016年9月11日(日)
秋の気配は

 秋の気配は

猛暑が去って
渡る風 コオロギの声に
漂う秋の気配

ひたすら上をめざせば
他と摩擦が生じる
ひたすら横をめざせば
上には伸びない

長い人生
ひたすら上をめざすときも
ひたすら横をめざすときも
どちらか偏ってもいい

そうした後で
進歩向上と
共存共栄とは
表裏一体と気づけばいい

ああ
秋の気配は
わが人生の気配と
表裏一体

*拙著『詩集 表裏一体』2014年、北辰堂出版を参照されたい。

2016年9月3日(土)
枕元には臨済録

 枕元には臨済録

日中の暑さに比べ
朝晩は若干涼しくなってきた
戸外からは秋の虫の音
枕元には臨済録

いつも目に留まるのは
念の出て来んところ
そこを手に入れれば
大笑いする世界が開ける

目が留まったそのときは

そうでありたいな
こんな思いに浸っても
いつも朝になるとどこ吹く風

天地と我
これが一つになってしまえば
そもそも念などというものは
出て来ようもない

ああ
枕元には臨済録
今晩は 夢でもいい
呵々大笑の世界で遊びたいな

*山田無文著『臨済録下』禅文化研究所、111頁参照。

2016年8月25日(木)
持参本は歎異抄

 持参本は歎異抄

今日も午後からは避暑を兼ねて
県緑化センターで読書
持参本は歎異抄

読書のなかで浮かぶ
オリンピックで心に残ったこと

体操総合で金メダルに輝いた
内村航平選手の演技

ロシアの選手に
内村選手はリードされていた
ところが 最後の最後
6種目目の鉄棒で
着地で決めた

ロシアの選手は
鉄棒の演技のときはもう
金メダルを意識していたに違いない
だがそのとき 技のキレをなくした

内村選手は
負けてもいい
いい演技をしたい

すっかり無心になっていた
この紙一重の差

無心のときこそ最大の力
人は得ようと日々努力をするが
努力だけでは得られないものがある
人はそれまでせっせと蓄えてきたものを
あっさり手放して大きなものを得る

親鸞聖人の言葉
念仏を称える信心の人は
なにものにもさまたげられない
唯一絶対の自由の大道を行くものである
こんな言葉と無心と重なった

※オリンピック地は、ブラジルのリオデジャネイロ。ロシアの選手は、オレグ・ベルニヤエフ選手。親鸞聖人の言葉は、『日本の名著 親鸞』1969年、中央公論社、85頁。

2016年8月20日(土)
早朝の畑でOさんと

 早朝の畑でOさんと

早朝の畑でOさんと対談
Oさんはご主人を亡くされ
このほど49日を済ませたと

こんな対談のなかの1つ
ご主人が病院から家に帰り
風呂に入ったときの安らいだ顔
今も思い出されると
 
そう言えば
私たちが何気なくしていること
歩く 座る 寝る
飲む 食べる 味わう
聞く 話す 見る 嗅ぐなど
ほんとうはすごいこと

これまで
できて当たり前としてきたこと
ほんとうは当たり前ではないんだなあ

長い入院から我が家にもどり
自分で湯につかったOさんのご主人
さぞ気持ちよかっただろな

2016年8月13日(土)
じりじりとと真夏の太陽

 ジリジリと真夏の太陽

先週は夕立が多く
夏も終わりかなと思いきや
今週は体温を越すほどの猛暑日もあった

こんな過ごしにくい日には
限りない空間の広がり
悠久の時の流れ
そのなかに存する
「第二の自分」が浮かぶ

大宇宙には7兆ほどの銀河
そのなかの1つが私たちの銀河
そこには2000億以上の恒星が渦巻いている
その渦巻きの端に在る恒星の1つが私たちの太陽
そして太陽系の第3惑星として存するのが
生命の星 地球

世界の人口はおよそ73億人
そのなかの一人として在り
いつ消えても何も変わらない
しかし 何も変わらないけれど
無限と永遠を垣間見できる一人

昼からはまた
ジリジリと真夏の太陽
ミーンミーンとセミたちの大合唱

※太陽は、地球の大きさの109倍、重さは30万倍の巨大なガス(水素75%、ヘリウム25%)のかたまり。表面温度は6000度、中心は1500万度あり、そこでの核融合反応で莫大な光エネルギーが生まれている。

2016年8月5日(金)
もうツクツクボウシの鳴き声

 もうツクツクボウシの鳴き声

あれあれ あれは
もうツクツクボウシの鳴き声
例年は夏の終わりなのに


それにしても
静かに時は流れていく
今年は 積雪の寒い日もあったが暖冬
入学式の頃は桜の花はかなり散っていた
梅雨入りも梅雨明けも数日早めで
その間も何度も真夏日

それにしても
静かに時は流れていく
「第一の自分」は老いの一途をたどり
やがてこの世を去る時を迎える
「第二の自分」は その時を
どうみているであろうか

そういえば
この頃は夕立が多い
これも夏の終わりを告げている

※人には3人称や2人称の死ではなく、「1人称の死をとらえ今に生かすか」ということが求められている。ラテン語の「メメント・モリ」は「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という警句として使われている。

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山川白道の作詩日記12