2025年7月13日(日)
歩き回る蟻

 歩き回る蟻

ここ我が深見の畑
猿投山は青く霞んで見える
この頃の畑仕事は灌水と草取り
そこで出合うは歩き回る蟻

振り返って
一瞬のなかの永遠
微塵のなかの宇宙
通常はこんなことは意識すらしない

でも
ゾーンに入ったスポーツ選手
死に直面し半生が短時間に蘇る人
これなどは一瞬のなかの永遠に近いではないか

同じように
微塵も原子分子からできている
例えば水素原子一つをとってみても
原子核の周りを電子が高速で回っている
これなどは宇宙のつくりに似ているではないか

この体の素材は
地球さらに宇宙からの借り物
その借り物を使って
今 ここに生き 生かされている

この心の大元は
複雑系の特性の自己組織化から生まれたようだ
まず 宇宙の意識が生まれ 地球の意識が生まれた
その分身である「第二の自分」の意識を借りて
今 ここに生き 生かされている

そのなかで
自然に対しても
人や社会に対しても
「かかわる力」をそれぞれ発揮して
今 ここに生き 生かされている

日中も 歩き回る蟻 何求め

*「かかわる力」は、拙著『四季開眼3』(展望社、2024年)を参照のこと。

2025年7月4日(金)
もう梅雨明け

 もう梅雨明け

もう梅雨明け
平年より2週間ほど早い
これでは畑の段取りが狂ってしまいそう

やはり
このように受け止めるのは
今の状況を意識で認識するから

交通事故では
まず意識の有無をみる
心や精神の有無は問わない

でも
人の生き方となると
心や精神の働きが大きい
心は より個人的で感情的な側面
精神は より知的で普遍的な側面
こんな違いはあるが
共に生き方を突き動かしている

普段の生活では
外からの刺激や情報などを受け止め
今の自分の状況を知りつつ活動している
これには意識の働きが大きい

梅雨明けて 野菜づくりや 間に合わず

2025年6月29日(日)
モグラの穴

 モグラの穴

今年は平年並みの梅雨入りでも
7月手前から続いている夏の暑さ
そんな日々では畑の灌水は欠かせない

ところで
灌水で「あれっ」と思うことは
たまに水が入り込んでいく箇所がある
よく見るとモグラの穴のようだ

人の生き方でも
好奇心や興味や関心があると
それにかかわりのあることを
どんどん吸い込む

やや努力はいるが
目標や志や希望があると
それにかかわりのあることを
大いに吸い寄せる

でも
灌水では困るが
人の生き方では役立つ
吸い寄せる力

モグラ穴 畑の灌水 吸い込みぬ

2025年6月23日(月)
サンパラソルが咲いた

 サンパラソルが咲いた

我が家の玄関先で
サンパラソルが咲いた
蔓性でアサガオに似ている
次々に濃いピンクの花が開く

サンパラソルに限らず
「この花 きれいだなあ」と意識した瞬間に
心の中にきれいな花が咲く
不思議だなあ

画家のシャガールは
「われわれの内部の世界はすべて現実
おそらく目に見える世界よりもっと現実的」と
心中の世界がこの現実世界になっていると言う

さらに踏み込んで
細菌学者の野口英世は
「周りの人間も周りの状況も自分がつくり出した影」と
この現実世界は自分がつくり出していると言う

このことは
一面恐ろしいことだ
しかも 最近の量子力学から
パラレルワールドはあってもおかしくはないとされている

サンパラソル 蕾から花へ 次々と

*M.シャガール(1887-1985)は、ロシヤ出身のフランスの画家。野口英世(1876-1928)は、細菌学者。パラレルワールドは、並行世界、並行宇宙などと訳されている。

2025年6月14日(土)
どてのユリ

 どてのユリ

はたけの どてのユリ
オレンジとエンジの はなが
ことしも いっぱい さいた

はなから みれば
なかまを ふやそう
ふやそう としている

ざっそうに まけないように
きゅうこんを ふやそう
ふやそう としている

きゅうこんは
はるから なつにかけて
みどりのはで つくられた ようぶんを
たくわえ たくわえ している

ひとも
そのじき そのじき
おおいに まなび きたえ
たくわえ たくわえ している

としを とってからは
そのたくわえた ちからを
ほどよく
 つかって いきている

ときをえて ユリのはなさく ばしょもえて

2025年6月4日(水)
はたけのどてのユリ

 はたけのどてのユリ

はたけの どてのユリ
つぼみを いっぱいつけている
すうねんまえ はじめの すうかぶが
ふえにふえて 10すうメートル

みちぞいの 
こんな やせた どてで
なつのあつさにも ふゆのさむさにも
ほどよく つきあって ふえてきた

ひとも
つらいことは
ほどよく わすれるから
いきていける

しっぱいや
しんぱいごとも 
ほどよく わすれるから
いきていける

でも
ちいさな ちょうせんは
いきていくためには
どうしても かかせない

ユリが ここまでなるには
ユリじしんが もつ ちから
ふえてほしいという わがねがい
みたいという ひとのねがいがある

オレンジと エンジのユリや ふえにふえ

*藤井英子著『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版、2025年)参照。

2025年5月28日(水)
めずらしく濃い霞

 めずらしく濃い霞

雨後に冷たい空気
今朝はめずらしく濃い霞
10メートル先も霞んで見える

かつて人事物の見方について
「大きな目」「小さな目」の見方
「長い目」「広い目」「深い目」の見方
こんな多様な見方ができるようにすること
このように記したことがある

「人間の体を
物質と見るのか 細胞レベルで見るのか
原子レベルで見るのか 素粒子レベルで見るのか
さらにそのもとのゼロポイントフィールドレベルで見るのか
どのように見るかで全く違う姿になります」と
村松大輔氏は記す

ゼロポイントフィールドは
最近の量子力学にもとづく仮説
これは どこにでもある量子真空のなかにあり
熱はなくても 膨大ななエネルギーのある場
ここに全ての情報が波動として記憶
どうもこれは 創造主の領域

維摩経 方便品の終わりに
人間には二つの体があるとのこと
それは 「色身」と「法身」であり
肉体としての体と真理としての体であると

ああ
この霞のなかから浮かび上がってくるようだ

ゼロポイントフィールドにつながっている
「法身」近くの「第二の自分」が

朝霞 別の世界 浮かびけり

*見方については、拙著『四季開眼3』「キリシマツツジが」(展望社、2024年、25頁)を参照。村松大輔氏の言葉は、『現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則』(サンマーク出版、2023年、192頁)を参照。「維摩経」は、山田無文著『維摩経法話上』(春秋社、1968年、166頁)を参照。

2025年5月16日(金)
シャクヤクが咲いた

 シャクヤクが咲いた

隣の畑の土手に
真っ白なシャクヤクが咲いた

さてさて
この白を「白」と言うと
その瞬間にシャクヤクが「白」となり
あるがままの白ではなくなる

なにも白に限ったことではない
山の色も川の色も野の色もすべてが
波長で表すことができる色となり
あるがままの色ではなくなる

脳で認識される色
網膜の錐体細胞で認識され
その信号を媒介として脳が統合する

でも どうなのかな
信号などの媒介のない
それ以前の色

これは法華経の説く
諸法実相に通じるのかな
「虚空のごとくにして実体がなく
言語でもって表現不可能」と

そんな想像を絶する世界
デジタルもアナログも超えた世界
それが波動の世界なのかな

シャクヤクや 白さのなかに 潜む紅

*法華経の引用は、ひろさちや著『「法華経」日本語訳』佼成出版社、2015年、156頁より。

2025年5月12日(月)
幼子はよく走る

 幼子はよく走る

2歳と3歳の孫
週末になると遊びに来る
家のなかではじっとしていない

そんな孫に限らず
幼子は およそよく走る
走り回って空間を体感しているようだ

大人は ほとんど走らないが
車 電車 飛行機などで移動し
空間を実感しているようだ

大人はまた
地図や地図情報などで
頭のなかで空間を創り出している
それは海馬や頭頂連合野などで行われている

ところが
なんらかの脳の障害で

自分という壁がなくなり
宇宙と融合して一つになる
そんな体験の報告もある

ああ
宇宙と一つになれるのかな
連合野などのはたらきを抑えて
右脳のはたらきが優勢となれば

幼子や 春風のごとく 駆け回る

*「そんな体験の報告」は、脳卒中を体験した脳科学者のジル・ボルト・テイラー氏による(『奇跡の脳』新潮文庫、2014年より)。

2025年5月5日(月)
笑う山

 笑う山

5月も上旬となると
新緑が登り切った猿投山は
木々の古い緑が新しい緑に置き換わって行く

そういえば
たくさんの事物があるなかで
複雑系の性質の一つに
自己組織化がある

宇宙を複雑系とすれば
自己組織化が行われてきた結果
宇宙に意識が生まれたとしても不思議ではない

だとすると
地球にも地球の意識
人にも固有の意識が生まれた
このように推し量ることができる
なにしろ既に一人一人に意識があるのだから

辞書では
意識とかかわっている心について
人間の精神作用のもとになるもの
さらには 知識 感情 意志の総体
思惑や気持ち 思いやりなども含む

その心
仏教学者の山折哲雄は記す
「生命の精髄でもある」と
心理学者の岸田秀氏は
「意味で成り立っている」と

笑う山 複雑系か 猿投山

*複雑系は、「数多くの要素で構成され、それぞれの要素が相互かつ複雑に絡み合った系またはシステム(デジタル大辞泉より)」。ここでの辞書は、『広辞苑』を参照。山折・岸田両氏の言葉の出典は、『知性』(MOKU出版、1999年)

2025年4月26日(土)
新緑がまばゆく

 新緑がまばゆく

4月も下旬になると
新緑がまばゆく映るようになる
それがまた猿投山の山肌を登って行くようだ

我が家の畑では
ブロッコリー ワケギに替わり
エンドウ イチゴ 早生タマネギなどの収穫

併せて夏野菜の準備
ナス トマト キュウリ
カボチャ スイカ トウモロコシなどの育苗

野菜や野草は
ほぼ1年サイクルで替わり
人は ほぼ10年 100年サイクルで替わる
ここにも諸行無常が当てはまる

作家の柳田邦男氏
精神性を大事にすることで
「死後生」を輝かせることができる
このように記している

新緑の 日に日に登る 猿投山

*柳田邦男著『「死後生」を生きる』文藝春秋、2025年、16頁参照。なお、「死後生」にかかわっては、「人は死で終わることなく、死後も遺された人の人生を膨らませるかたちで、成長を続けるのです(14頁)」と記している。

2025年4月16日(水)
畑仕事をしていると

 畑仕事をしていると

畑仕事をしていると
90歳になるお婆さん
ニコニコ顔で朝の挨拶
「この花 きれいだねえ」
「歩いてこそ 分かるよ」と

なるほど
車でサッと通るだけなら
見落としてしまいがちなこの花
春の風を肌にあっちこっち見ながら
歩けば分かるこの美しさ

これは
美しいと感じたその時に
花の美しさと自分の意識と呼応して
意識のなかに花を咲かせている

人の一生
意識のなかに
どれだけ花を咲かせたか

さらに
花を事物に置き換えて
どれだけの人に喜びを与え
その喜びを自分の喜びとできたか
こんなことが問われる旅立ち

心中に どれだけの花 咲かせしか

2025年4月6日(日)
なのはなの

 なのはなの

なのはなの はたけを わたるかぜ
なんだか あかるさと げんきを
はこんでいるようだ

なのはなの つぼみ
これから はなを さかせる ちかわが
ぎゅっと つまっているようだ

そんな なのはなの つぼみをいただく
これが からだには とてもいいようだ
なにも くすりに たよらなくても
しぜんの ちからを とりいれる

なのはなの つぼみだけでなく
はるには このようなちからが
のに やまに あふれているようだ
げんきのかぜが ふきわたっているようだ

なのはなの
げんきのかぜが
わたりけり

*菜花には、ビタミンCやイソチオシアネートがあり、抗酸化作用や免疫力アップなどが期待されている。「げんきのかぜ」は、拙著『元気の風』(ヒューマンアソシエイツ、2008年)参照のこと。

2025年3月31日(月)
つくしの坊やが二つ

 つくしの坊やが二つ

畑の土手の草刈り
ふと見るとつくしの坊やが二つ
「おお 春だな」と感じる一こま

我が家に来る2歳と3歳の坊や
何にでも興味を示し絶えず動き回る
「静かになったな」と見ると眠っている

同世代の人たちと接していて
発散するエネルギーの違いなど余り感じない
それが 孫の訪問で一転
エネルギーの違い

エネルギーそのものは目に見えないが
存在の形体として物質やその運動などがある
個々の物体には質量があるが
それがエネルギーにもなる

宇宙にはまだまだ分からない
ダークと呼ばれる物質とエネルギーが
およそ95パーセントあるとも言われている

この世にあると言われる
「大いなる何か」の正体は
この「ダークと呼ばれる何か」なのかな

つくし二つ エネルギー満ち はじけけり

*ダークマターとダークエネルギーは、宇宙を構成する正体不明の成分で、宇宙全体の約95%を占めていると考えられている。(Webサイトより)

2025年3月27日(木)
荘川桜が満開

 荘川桜が満開

今日は花曇り
目の前の荘川桜が満開
「つどいの丘」のこの桜のもと
「意識の風」が吹き渡る

幼い子どもが成長するのと
更年期を経て老化が加速するのと
同じ一続きの流れであり
一瞬のうちに過ぎる

しかし
この一瞬のなかに
これまで生きてきた歴史があり
さらに人類史 生命史もかかわっている

この体は
この施設 この町から見れば誠に小さい
さらにこの地球から見れば
微塵のように小さい

しかし
微塵のように小さなこの体
星屑からできた原子 素粒子があり
宇宙の仕組みも組み込まれている

一瞬のなかに永遠があり
微塵のなかに宇宙がある
「意識の風」はこのように吹き渡る

この桜 このひとときと 輝けり

*「つどいの丘」の荘川桜は、岐阜県高山市荘川町に現存した樹齢400歳の老木の二世。

2025年3月23日(日)
科学の詩

 科学の詩

遅れていた庭のコブシが
この春風でチラホラと咲き始めた
今年はヒヨドリ対策をしたためか
花の蕾がたくさんついている

こんななか 話は飛びに飛ぶ
この体は両親を縁として生まれてきてはいるが
両親の両親そのまた両親の両親とたどれば
約20万年前のホモサピエンスの誕生
さらに約40億年前の生命の誕生
約138億年前の宇宙誕生

逆にたどって
宇宙誕生から星の誕生
その星が超新星爆発を繰り返し
この生命の素材がつくられた

仮説になるが
量子真空のなかに波動情報が蓄積し
複雑系の特性で自己組織化をし
大いなる何かの意識ができた

星屑の素材と大いなる何かの意識
その一部を使って今ここにある自分
自力などよりはるかに大きな他力
これは 宗教などではなく
仮説に基づく科学の詩

コブシ花や 歴史背負って チラホラと

*歴史学者の阿部謹也(1935-2006)氏は、「歴史学というものは現在を知るための学問です(『知性』MOKU出版、126頁)」と記している。「量子真空」にかかわっては、拙著『四季開眼3』(展望社、19頁)参照のこと。

2025年3月15日(土)
いざ出番と

 いざ出番と

ナズナやホトケノザが
いざ出番とばかり咲き始めた
寒暖を繰り返していても
一歩一歩春らしくなる

本年度を振り返って
3人の子どもが次々に
家を購入したり新築したりした

こんななかで浮かぶ
2階建ての家に住んでいて
1階しかないという意識であれば
1階しか「ない」のと同じである
使わなくても2階ありの意識があれば
やはり2階は「ある」

同じように
4次元時空間しかないという意識であれば
4次元時空間しか「ない」のと同じである
使わなくても異次元世界ありの意識があれば
やはりそれは「ある」あるのではないのかな

涌きいずる いざ出番とぞ 春の草

*法華経には、諸法実相と諸法空相が説かれている。「すべてあるがままにある」は、諸法実相、「すべて実体はなく目に見えない」は、諸法空相にあたる。

2025年3月10日(月)
走馬灯のように

 走馬灯のように

立春を過ぎてからの二つの寒波で
長く 長く感じられた今年の冬も
紅梅が満開 白梅もちらほら
ようやく春らしくなってきた

時の流れの不思議
とりわけ死を覚悟したその時に
これまでのことが走馬灯のように去来 
そんな人もあると聞く

もとよりこの体
骨格と筋肉 内臓と筋肉
脳と神経と感覚器官などからできている
元は タンパク質 脂肪 炭水化物 水など
さらに元は 水素 酸素 炭素 窒素など

これらの材料はみな
約138億年前に宇宙が誕生し
水素やヘリウムが集まって星々ができ

その中の重い星が超新星爆発を繰り返し
次世代の星の材料がばらまかれてきた

生命に限ってみれば
約40億年前の原始の海で
星屑の素材を使って
アミノ酸や遺伝物質がうまく造られ
最初の生命が誕生した

こんな歴史からもこの体
たとえ百歳まで生きたとしても
一瞬に過ぎない

でも
この一瞬のこの体の素材には
宇宙誕生 生命誕生の歴史がある
永い 永い時の流れがある

梅の花 歴史の跡や 去来せり

*遺伝物質の本体は、DNA(デオキシリボ核酸)で、染色体上に遺伝子として存在する。(Webサイトより)

2025年3月2日(日)
不思議な風の後は

 不思議な風の後は

三月の声を聞くと急に春めいて
コブシの蕾をついばみに
小鳥たちがやってきた

不思議な風が去った後は

自分の意識が残されている
この意識を一種の波動とすれば
表面波もあれば深層波もある

表面波は生活するためのもの
深層波は生活から離れ宇宙に開かれている
もとより 表面と深層の中間もある

表面波は
中間層に支えられながらも
少しの風でよく波立つ

中間波は
生命力であり
個々の「元気起こし」の波となっている

深層波は
波としては捉えにくいが
平らかで 静かでありながら
宇宙へつながるエネルギーを持っている

招きけり コブシの蕾 小鳥たち

*「元気起こし」にかかわっては、拙著『元気の風』(ヒューマンアソシエイツ、2008年)参照のこと。

2025年2月20日(木)
不思議な風

 不思議な風

ここは「つどいの丘」
外は冷たい北風でもここは別世界
隣りのテーブルでは木瀬女子会のメンバー
何やら気心の知れた楽しげな会話

自分はと言えば
少し離れて一人座し
心中に一陣の不思議な風

まずは
時間の不思議
その瞬間その瞬間のなかに
永遠なる何かが潜んでいるようだ

次には
空間の不思議
多種多様なかかわりで
多種多様な空間が生まれては消え
消えては生まれているようだ

この二つの不思議を結びつけるものは
あれを外して これを外していくと
残るは 自分の意識のようだ

春隣り 不思議な風は 意識かな

*「つどいの丘」は、トヨタ労連の研修施設。木瀬女子会は、同郷同学年の幼なじみ。なお、拙著『四季開眼3』(展望社、2024年)の「秋の章」は、意識空間を軸に編集をした。

2025年2月15日(土)
この寒さでも

 この寒さでも

この寒さでも
遅れていた梅の蕾が
心なしかふっくらしてきた

さて
A・アインシュタインは
等式でエネルギーと質量を結びつけた
さらに 光量子仮説で光は粒子でもあるとした

その粒子は
後に フォトンと呼ばれる電磁波の量子が
近年 フォトンを初め他の素粒子も
ひもの振動や形によって決まり
4種類の力が生じると言われている
 
このように分かると
万物がエネルギーであり
言わば 波動のエネルギーに帰することになる

これは
エネルギーを空 万物を色とすると
般若心経の「色即是空 空即是色」にあたる

般若心経の「もともと何もない」
「何もないものにとらわれるな」という教えは
現代的な生き方に置き換えれば
「つまらないものに意識を向けるな」となる

そうであっても
生きる力としての
好奇心や思いやりなど
持ち続けて若さを保ちたいな

春隣り 蕾のうちに 満つ力

*A・アインシュタインは、26歳にして①時間と空間の概念を変えた相対性理論、②原子や分子の存在を示したブラウン運動、③光を粒子でもあるとした光量子仮説を発表した。「ひもの振動や形・・・」は超弦理論による。(『ニュートン』Vol45 No.2 参照)

2025年2月11日(火)
新たな会の発足

 新たな会の発足

ここへきて
陽射しは もう春でも
寒気団に包まれてこの冬一番の寒さ

こんななか ついに
12年間続いた平成生涯学習支援連盟
通称「平生連」も収めどきとなった

平生連のねらいは
生涯学習の力を高め
生き方を探求すること
そのために年6回の研修会
年2回の太極拳の実技研修

ああ 平生連にて
思い出に残る言葉や事柄
支えていただいた人や場などの外
健康にかかわる多くの学びがあった

何よりも大きなこと
会員同士のかかわりで
きずなを深めることができ
生きる知恵なども共有できたこと

一抹のさみしさあるが
「○○○○会」として新たな発足
気楽な集まりとして期待が高まる

春近き 木々の蕾に 託す夢

*平成生涯学習支援連盟は、平成25年度から令和6年度まで続けられた。

2025年2月4日(火)
ほんのり雪化粧

 ほんのり雪化粧

ここ「つどいの丘」からは
猿投山の山頂付近が
朝方の雪でほんのり雪化粧

暖房のきいたこのロビー内では
お婆さん方5人がテーブルを囲んで
コトバとワライを介して
かかわり空間をつくり
温かな雰囲気

私たちは
この生老病死のある四次元時空間で
人事物とかかわり合いながら生きている
そうして元の四次元時空間を超えた世界へ
こんな歩みをしている

山頂付近とこのロビー内では
人からみれば随分の寒暖の違いでも
宇宙からみれば誤差にもならない僅かな違い

この四次元時空間を超えること
人からみればとても大きな壁でも
宇宙からみれば大したことではないのかな

雪化粧 山見る我や 別世界

*社会学者の広井良典氏は、『無と意識の人類史』で「私の人生とは、時間を超えた何かから生まれ、しばらくの間、時間のなかを生き、再び時間を超えた何かに帰る歩み」と記している。

2025年1月30日(木)
新たな物理学が

 新たな物理学が

大寒にふさわしく
朝から小雪のちらつく日
鱗木に寄りかかっていた大木を
力のかかり方をみながらチエンソーで伐採

山で使っている力学一転
量子物理学をこえる可能性について
科学雑誌「ニュートン」での特別インタビュー
まずは 物理学者の山本貴博氏は
「生物と無生物を結ぶ何かを期待」
日本物理学会長の長谷川修司氏は
「人間の意識の問題が新たなきっかけ」

そう言えば
「虫の知らせ」と「量子もつれ」
「閻魔の鏡」と「ZPF仮説」
何やらつながりそう

それにしても
物理学者らしく村山斉氏は
「新たな物理学ができるには数学が鍵」と
このようなことが記されていた

ああ そんな数学ができれば
科学と宗教の融合ができるのかな

ZPF仮説も実証されるのかな

つなぎけり 科学宗教 冬の山

*ZPF仮説は、ゼロ・ポイント・フィールド仮説のこと(詳しくは、拙著『四季開眼3』を参照のこと)。山本貴博(1975- )氏は、東京理科大学教授。長谷川裕司(1960-)氏は、東京大学大学院教授。村山斉(1964-)氏は、東京大学国際高等研究所教授。

2025年1月20日(月)
大寒の入り

 大寒の入り

今日は大寒の入り
朝方は小雨でも
日中は
穏やかに晴れた
梅の蕾もふくらみ剪定日和


先日までの寒さも移り行き
とても大寒とは思えぬ暖かさ
ああ すべては変わり行く
言わば「諸行無常」

かたや
梅が梅でいられるのは
剪定などのかかわりを通して
花を咲かせて実を実らせているから

この手に持つ剪定鋏ですら
剪定鋏が剪定鋏でいられるのは
枝を切るはたらきがあるから

自分が自分でいられるのも
人と人とのかかわりがあるから
ああ すべては関係性のなかにある
言わば「諸法無我」


「諸行無常」を右手に
「諸法無我」を左手にして
心を平らかにして静かに見入る
言わば「涅槃寂静」

寒中の 蕾のなかに 三法印

*三法印は、仏教教理を特徴づける三つの基本的教説。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静をいう。(『広辞苑』より))

2025年1月9日(木)
寒の入りして

 寒の入りして

寒の入りして
今日で 4日目
この時期らしい寒さが続く

手には しもやけとあかぎれ
寒風に当たれば鼻水がズルズル
そんなこの体は「仮の宿」

でも
命ある限り大切にしたい
「仮の宿」に宿る「第二の自分」も
また大切なものとしたい

五感で育まれた「第一の自分」が
「第二の自分」に気づくには
長い道程と永い時間

さらに

「第二の自分」が
「永遠の生命」の分身と気づくには
また長い道程と永い時間

それで
気づいたからと言って
普段の生活は何も変わらない

強いて言えば
どうにもならないときなど
「第二の自分」が頼りになることかな

寒の入り 第二の自分 身近なり

*拙著『四季開眼3』「しゃっくりが」、『四季開眼2』「探していた財布」、『四季開眼』「昨夜は小雪」などを参照のこと。

2025年1月2日(木)
日々に新た

 日々に新た

元旦に
今年の漢字として
筆書きの「新」を居間に飾った

これは
昨年 長男と長女がそれぞれ新居を購入し
今年 次男が新居を建てることに由来する

「新」には二つのあり方がある
一つは外側にある「新」
もう一つは内側

新居は 外側にあり
目で見えるのでよく分かる
でも 内側にある「新」
例えば 心は分かりにくい

あるきっかけで新たな気持ちで励む
こんな意味の「心機一転」という言葉
その前提となっているきっかけづくりも
なかなかむずかしい

でも
そのきっかけづくり
日々に努めなければ巡ってこない

初春に 日々に新たと 願いけリ

*座していては、なかなか「日々に新た」とはいきにくい。

2024年12月26日(木)
認知機能の尺度

 認知機能の尺度

今日は朝から曇り
運転免許更新のための認知機能検査の日
10分前には足助の検査会場に着き
外の二人と共に受検

検査は
始めに4つずつ16のイラストが提示され
ちょっとした作業後にそれらの名を書く
さらにヒントが記された用紙に書く

次に 年月日 曜日を書き
今 何時何分かを書く

今回のイラストは
AからDの4つのうちDパターン
4つのイラストの説明は意外にも反時計回り
でも なんとか16のイラスト名を時計回りで書けた

今 何時何分かの問い
物事に集中していて気づくと
「もうそんな時間か」ということがある
でも 誤差30分以内なら正解とのことで一安心

たしかに
歳を重ねると
思ったこと したことを忘れがち
今がいつかということも忘れがち
これが高齢者の認知機能の尺度となっている

冬曇り 機能の維持を 測りけり

2024年12月16日(月)

 

ほんの1か月前は
まだ夏日があったのに
この頃は10℃に届かない日がある

そんなこの頃
壁という言葉をよく耳にする
これは部屋の仕切りや家の囲いのこと

年収103万円の壁と言うと
これを超えると所得税がかかるというもの
外にも106万円 130万円の壁がある

生き物に振り向けてみれば
単細胞生物では 細胞膜
多細胞生物では 皮膚
これに当たるのかな

ヒトでは
肉体的には皮膚でも
心理的にはアイデンティティに当たるのかな

アイデンティティを持ち
社会生活をきちんとしながら
その上でそれだけではないと気づく
これが壁を超えていくことにつながっていく

それには
意識を大きく膨らませる経験
何かの機に触れて意識の壁を超える経験

いずれにしても
目に見えない壁があるとして
その壁を内から超えようとすることから

冬空を 駆け行く雲へ 意識飛ぶ

2024年12月12日(木)
日向ぼっこ

 日向ぼっこ

今日の畑仕事
快晴でも冷たい北風ピューピュー
鼻水が出てきた

それで 早々に畑を引き上げ
自宅の部屋のガラス越しで
日向ぼっこ

そこで浮かんだことは
これまで「宇宙の色は漆黒の闇」との認識
ところが 今年のノーベル化学賞受賞者の
デイヴィッド・ベイカー氏は
「宇宙の色はベージュ」と言う

そう言えば
陽だまりで目を閉じれば
先ず現れるはベージュ

私たちにも
こんな身近に
宇宙を感じられる仕組みが
具わっているのかな

日向ぼこ まぶた閉じれば 宇宙色

*2024年にノーベル化学賞を受賞したデイヴィッド・ベイカー氏は、御立英史訳『早回し全歴史』(ダイヤモンド社、2024年)で「宇宙の色はベージュ」と記している。

2024年12月6日(金)
落 葉 が

 落 葉 が

このごろは
積もりに積った落ち葉が
やっと落ち着いてきた

そんななか
生化学者の中村桂子氏が
NHKテレビのインタビューを受け
「人間は生きもの 時間を紡ぐもの」
このように述べていたのが心に残る

ヒトは
生まれ 育ち 育て
そして 老いて 死ぬ
この過程で自己認識が生まれ
「第一の自分」を知ることにつながる

やがて
「第一の自分」の外に
何かあるのではないかと気づく
その何かが「本当の自分」であり
「第二の自分」

さらにまた
「第二の自分」の外に
何かあるのではないかと気づく
その何かが「永遠の生命」であり
「宇宙の意識」

それは
極論っぽくなるが
30万年前のホモサピエンスの誕生
いや 40億年前の地球生命の誕生
いやいや 138億年前の宇宙の誕生
こんな歴史を持っているのではないのか

我が足跡 振り返り見る 落葉かな

*科学者の田坂広志氏は、「肉体が死を迎えるとともに、我々の意識の中心は、ゼロ・ポイント・フィールドに移り、いずれ自我意識を脱し、超自我意識の段階を経て、最後は宇宙意識へと拡大し、合一していく(『死は存在しない』光文社新書、195頁)」と記している。

2024年11月30日(土)
山から下りて来る

 山から下りて来る

1月前の最低気温が
この頃の最高気温より低く
かなりの速さで季節が進む
紅葉もかなりの速さで
山から下りて来る

そんななか
新しい出会いもあるが
周りの人たちが一人二人と
あの世へ旅立っていく

そうして
いつか自分の番となる
それは「第二の自分」として
しっかり目覚めるときでもある

穏やかな心境なら
穏やかな世界が
争いがちな心境なら
そういう世界が待っている

また時が流れ
この世の垢や塵も流れ
心境の純化が進んだとき

「永遠の生命」と合体することも
この世に生まれ変わることもある
その間の時の流れは人によって
数十年 数百年 数千年と
このように察せられる


おっとそうは言っても
この今の世界を大切にして
この二度とない人生を
精一杯生き切ること

紅葉や 猿投の山を 下りて来る

2024年11月19日(火)
木枯し1号

 木枯し1号

昨日は木枯し1号
今朝は庭一面に枯れ葉

こんななか
詩人の谷川俊太郎氏が逝った
彼は 絵本や作詞 エッセ-など
幅広い著作を残した

生前 彼は 
目に見えないものを大切にしていた
それを究めていくと
どうもこの世は「仮の宿」
ここに行き着くようだ

意識や精神や魂は
その「仮の宿」のなかにあり
時に それを包み込むようにある

それらを
私の言葉で言えば
「第二の自分」

こんな思いを巡らせていると
次の詩集のタイトルが
ふと浮かんで来た

木枯しや 第二の自分 奥深く

2024年11月7日(木)
天の采配

 天の采配

このところ
10冊目の著作で
ついつい作詩が疎かになっていた

この間
一気に季節が進み
今日は 立冬にふさわしく
冷たい風がビュービュー吹いた

夏野菜のナスやオクラは
いよいよ採り納めとなり
今は 薩摩芋や里芋
大根や人参 ゴボウなどの土もの
これからは 白菜やキャベツなどの
玉になった葉ものが主流

こうした変化は
地球が太陽を公転し
その面に対して自転軸が
23.4度傾いているため
ここにも天の采配の見事さがある

こうしたことは
普段の生活では気付かずにいる
やはり 日常茶飯事だけではなく
見事な天の采配にも目を向けてみたいな

冬隣り 冷たき風に 天を知る

2024年10月26日(土)
葉が虫に

 葉が虫に

このごろ時期外れの秋雨前線
南の海の台風の影響もあり
秋めいても雨もよく降る

9月初旬に種まきした
ブロッコリーとキャベツ
育った苗を9月下旬に植え替え
今や 手のひらを広げたほどに育った

9月中旬に種まきした
ダイコンとハクサイも
手のひらを広げたほどに育った

でも
毎日それらの野菜を見ていても
葉が虫に食べられているのに
気づかないことが多々ある

このようなことは
他人へ危害を与えておきながら
一向に気づかないことがある
それどころか意識してする

やはり
どんなこともアレッと思った時
立ち止まって「第一の自分」をみる
さらには「第二の自分」を感じることかな

秋野菜 振り返ってや 我をみる

2024年10月14日(月)
もう一つ冬瓜

 もう一つ冬瓜

このごろ秋めいてきて
南の土手に這わせていた冬瓜の蔓
およそ10数メートルも伸び
その一部は柿の木に登っていた

それをよく見るとそこに
立派な冬瓜が一つぶら下がっていた
さらに近づいて見てみると
なんともう一つ冬瓜

科学の分野で
一つのことを探求していて
それとは別に思わぬ発見をする
たまにそんなことがあると聞く

これまで
時間のことを探求してきて
「第二の自分」に巡り合ったことに似ている

これは
空間のことを探求していて
「第二の自分」に巡り合うことと同じだ

冬瓜や 一つ見つけて また一つ

2024年10月2日(水)
秋の夢

 秋の夢

秋雨前線が北上して
南の太平洋高気圧に覆われても
朝晩はすっかり涼しくなり
彼岸花が饗宴している

この頃の朝方の夢
出来事を近くで見るだけではなく
大きな空間や多様な見方でも
楽しみたいと思っていた

すると
なんと今朝は
とても大きな夢を見た

我が意識が
外から地球を見ているところまで
どんどん大きくなった夢

そうなると
これは「南無阿弥陀仏」
「おまかせします 阿弥陀さま」と言って
すべてを手放すことと表裏一体

秋の夢 近くも遠くに なりにけり

2024年9月24日(火)
秋雨前線の南下で

 秋雨前線の南下で

秋雨前線の南下で
気温が一気に下がり
やっと秋になったと感じるこの頃

朝方によく夢を見る
夢の見え方を振り返って見ると
相手があるものの どうも至近距離が多い
遠くを眺めたり遠くから見たりはしない
このことから察するに

明け方の夢は
小さな空間での出来事を
脳の中で記憶の整理をしているようだ

そのためか
「大きな目」「小さな目」の見方が足りない
「大きな目」は 全体的に見る見方
「小さな目」は 微細に見る見方

また
「長い目」「広い目」
「深い目」の見方もない
「長い目」は 中長期的な見方
「広い目」は 多角的な見方
「深い目」は 根本的本質的な見方

物事を近くで見るだけでなく
大きな空間や多様な見方でも
楽しみたい秋の夢

秋の夢 遠くも近く なりにけり

2024年9月20日(金)
もう彼岸の入り

 もう彼岸の入り

暑い暑いと言ってももう彼岸の入り
この頃となると時を違えず
決まって彼岸花が咲く

時が音もなく過ぎ
身近な先輩 友人 知人が
一人二人とあの世へ旅立っていく

かわりに
野球に相撲に
将棋に囲碁にと
若い人の活躍が目立つ

年年歳歳 時巡り
どこかに足跡を残しながらも
ヒトも流れていく

そうであっても
ヒトに意識ができたことは
この宇宙の開闢依頼の奇跡
その奇跡の意識が意識したことが
どこかに記憶されているとも言われている

あの世でも 咲いているのか 彼岸花

*田坂広志氏は、「宇宙で起こったすべての出来事が、量子真空のゼロ・ポイント・フィールドに波動情報として記憶されている」という仮説を紹介している。(『死は存在しない』光文社新書、2023年、138頁)

2024年9月10日(火)
人も作物も

 人も作物も

9月に入ってからも
猛暑日が今日で6日も続き
人も作物も耐えかねている

もとより
人も作物も 動物も植物も
多少の暑さ寒さにも耐えられる
こんな気候をもたらしているのは
地球大気
さらに太陽活動とのかかわりがある

人には
空間は 大きさから
認識できる範囲を基に
それを超える大小の3つに分けられる
また そのはたらきからも
固有 共有 仮想の
3つに分けられる

これらは
肉体を持つ「第一の自分」の見方
では 肉体を持たない「第二の自分」は
どんな見え方になるのかな

やはり
肉体がないから
暑さ寒さもなく
喜怒哀楽からも離れ
時空間の束縛からも離れ
「意識の眼」での見え方になる

残暑中 体抜け出す 意識の眼

2024年9月1日(日)
迷走台風十号

 迷走台風十号

迷走台風十号
九州と四国を横断後
紀伊半島沖で熱帯低気圧に

当地ではこの台風で
38度を越える猛暑が収まったものの
今度は当地を含め各地で豪雨災害など

こんななかで
愛用のパソコンが起動しなくなった
考えられる修復を試みてもだめだった
買い替えの時期かなとの思いがよぎる

でも
パソコンを買い替えると
中のデータや周辺機器など
不具合が無いようにするには
それなりの経費と時間がかかる

待てよ
いつの間にか便利なデジタル空間に慣れて
本来のアナログ空間を疎かにしていないか
やはり ヒトが生きていうえで
どうしても必要なものについて
ときに振り返ること

迷走で 被害大きく なりにけり

2024年8月20日(火)
夏の盛りは

 夏の盛りは

38度越えの日が10日続いたが
今日は久しぶりの恵みの雨
草木も息を吹き返した

夏の盛りは
過ぎてみなければわからない
人生の盛りも
過ぎてみなければわからない

自分の盛りは
やはり40歳前後かな
そのころは 教職にあり
集団と個の指導システムを開発し
その実践的な研究をしていた
これが認められて賞もいただいた

この歳になって
肉体的なことではなく
精神的なことに重きが移っている

とりわけ
「第二の自分」
これは 普段の生活では
なかなかわかりにくいが
ふと振り返ればそこにある

振り返り あれが盛夏と 気づきけり

*ここでの賞は、第18回東レ理科教育賞「中学1・2年生における集団指導システムと個別指導システムの開発とその実践」

2024年8月17日(土)
続く猛暑に

 続く猛暑に

このところ
気温が38度を越える日が
1週間余り続いている

こんななか
野菜の水やりを心がけていても
手の届きにくいところは
生死の間にある

この夏も太平洋高気圧に
チベット高気圧がのしかかり
ダブルで気圧を高めているとのこと

人だけが電気をふんだんに使い
暖気をどんどん外に出して
エアコンのきいた空間で
易々と過ごしている

やはり
宇宙の星屑の素材を借りて
宇宙の意識の一部を借りて
今ここに生き生かされている
このように意識するとき
只「感謝」しかない

外野菜 続く猛暑に 耐えにけり

*当地では、最高気温が38℃を越える日が今日で9日目。県緑化センターの緑の芝生も、枯れかけていた。

2024年8月8日(木)
炎昼のかかわり

 炎昼のかかわり

いつもの「つどいの丘」ロビー
真夏の昼下がりは誰もいない
そこでは誰はばかることなく
心の声に耳を傾けられる

人と人とのつながり
それは時に動きにくく
時に動きやすくする
時に安らかとなり
時にいらだつ

人と万物のつながり
それは宇宙の星屑の素材を借りて
また宇宙の意識の一部を借りて
今ここに生き生かされている
これがそもそもの証し

一瞬の中の永遠 永遠の中の一瞬
微塵の中の宇宙 宇宙の中の微塵
この在り様の意識もその証し

でも 心の声
普段はまったく聞こえない
不思議だなあ

炎昼に 深いかかわり 開きけり

*拙著『四季開眼2』「寒気が居座り」115頁を参照のこと。

2024年8月1日(木)
忘れ得ぬ場所

 忘れ得ぬ場所

このところ体温に迫る猛暑
ここ「つどいの丘」ロビーからの眺めは
空の青が山の緑に溶け込んだよう
そんななか次回研修会テーマ
「忘れ得ぬ場所」となる

そう言えば 前のテーマ
「今自分を支えるかかわり」のなかで
場所として故郷の生家や山川や田畑
小学校から大学までの母校 勤務校などあげた
これらは 支えるかかわり」だけでなく
忘れ得ぬ場所ともなっている

それは
そのときの自分の固有空間として
大きな部分を占めているだけでなく
今も忘れ得ぬ場所となっている

おっと
退職して久しいこの頃
忘れてはならない場所は
我が家 我が畑 「つどの丘」

夏の畑 雑草ともに 繁茂かな

作詩生活へ
平生連へ
山川白道の作詩日記20