2023年7月26日(水)
お婆さん方7人

 お婆さん方7人

外は体温を上回る暑さでも
ここ「つどいの丘」玄関ロビーでは
エアコンのお陰で28度C

目の前の猿投山は
水蒸気を含んだ空気のためか
白っぽく霞んで見える

そんなロビーへ
突然お婆さん方7人
離れた席でとにかくよくお喋りになる
持病のことから失敗 事故 家族 知人のこと
「ウソー ホントー マエエー ホヤホーダワ
ホンデ アレアソコ ワッハッハー」と
かかわり空間をつくっている

このかかわり空間
時の流れのなかにあり
かかわりの活動で成り立つ
その時の流れは 宇宙の運行と
体内時計の連動で成り立っている

こんなことからも
成り立ちは違っても
空間は 時間と不即不離

夏の山
くっきり見えて
また霞む

*不即不離は、拙著『四季開眼2』(展望社)の「空澄みて」を参照のこと。

2023年7月23日(日)
夏野菜

 夏野菜

隣畑のⅠさんへ
「これ もらってもらえませんか」と
ズッキーニにブルーベリーを添えて渡す
これも一つのかかわりづくりかな

さてさて
前作「向日葵が」の 
「かかわりの空間」は

行動できる範囲内ととらえられる

行動範囲の外の
各人固有の空間は
地図や映像等の助けで

頭のなかでつくっている


その各人固有の空間
生まれたときは保育器や母親の腕の中が全世界
成長とともに自宅とよく行く施設が全世界
やがて 近所や学区の世界ができ
個人によって違いが大きいものの
社会的な世界に広がる

その社会的な世界
それは固有 共有 仮想とあるが
そのなかに「かかわり空間」と称してよい
そんな空間が潜んでいるようだ

隣人と
かかわりづくり
夏野菜

*大きくは、すばる望遠鏡が、130億光年の彼方のブラックホールを見つけた。小さくは、最先端の電子顕微鏡が、ほぼ原子大まで観察できるという。

2023年7月16日(日)
夏の雲

 夏の雲

青い空に白い雲
強い日差しに体温に迫る気温
猿投山の緑の稜線を目の前にして
この空間に思いを巡らす

その空間を突き詰めれば
縦横高さの3方向で成り立ち
各方向の距離でその広さができる

人は
生まれたときは
手の届く範囲のわずかな空間

それが
成長とともに
固有の空間ができ
さらに地図や写真等により
人それぞれの共有の空間もできる
さらには バーチャルな空間もできる

人は
活動することによって
あるいは地図や映像等によって
この空間を確かめている

夏の雲
小さき人を
見下ろせり

2023年7月9日(日)
向日葵が

 向日葵が

我が家の畑の片隅で
農作業を見守るかのように
小輪の向日葵が束になって咲いている

はてさて
「見守るかのよう」は
それを見る自分の思い過ごしかな

いやいや
あながち思い過ごしでもなさそうだ
空間がかかわりから成り立っているとすると
「見守るかのよう」と思った瞬間に
そういう空間ができる

「あの人はいい人」と思った瞬間にも
いい人としてのかかわりができ
そういう空間ができる

でも
自分で選び取らなければ
これもたちどころに消え失せる
不思議だなあ

そう言えば
「思いやり」も
「思いをやること」で
かかわりづくりの大きな力となる

向日葵や
畑隅より
我を見る

*孔子の説く「仁」は、「思いやり」と言い換えることもできる。

2023年6月30日(金)
紫陽花が

 紫陽花が

紫陽花が 
この長雨に濡れ
しっとりと咲いている
こんななかグーグルマップでひと遊び

パネルタッチで
まず 我が家の周り1キロ四方
これを二本指で広げると20メートル四方
しかも 360度動く写真までも

二本指でどんどん縮めると日本列島
さらに縮めると東アジア オーストラリア
西へ指を動かすとヨーロッパ アフリカ
さらには大西洋を越えて南北アメリカ
そして 太平洋を経て世界一周

このような地図は
ヒトの共有空間になっている
地図だけでなく写真まで見ることができる
まさに 実在の空間であるかのよう

でも そんな地図にはない
ミクロ世界に分け入って見れば
そこに分子 原子 原子核があり
さらにはクォークやレプトンがあり
神秘な力でかかわり合っている

紫陽花や
花びらと見せ
実は萼

*ここでの「神秘な力」は、電磁相互作用(光子)、弱い相互作用(Zボソン・Wボソン)、強い相互作用(グルーオン)。

2023年6月22日(木)
ヒルザキツキミソウが

 ヒルザキツキミソウが

我が家の畑の片隅で
釣鐘の形をした薄いピンクの花
ヒルザキツキミソウが風に揺れている

そのように感じる五感から離れ
「第二の自分」から見る
ヒルザキツキミソウ

一気に
その花の風景
花の形や色がなくなり
揺らぎもなくなってしまう

その土地とのかかわり
そのときの空気とのかかわり
そこに集まる虫たちとのかかわり
それを見る人とのかかわりだけになる
不思議だなあ

そう言えば
自分もそんな世界に生きているのかな
それは まさしく迷いのない世界
でも それは味気のない世界

月見草
昼に咲いては
月見えず

*ヒルザキツキミソウは、アカバナ科マツヨイグサ属の多年生植物。(『ウィキペディア』より)

2023年6月15日(木)
ユリの花

 ユリの花

畑の土手で増えたユリの花
「この花 きれいだね」と
道行く人が口々に話しかけてくれる
そんなユリの在り様

時間からみると
それは存在の運動形式となり
仏教でいう諸行無常ということになる

空間からみると
それは存在の静止形式となり
仏教でいう諸法実相ということに近い

さてその存在の本質
それは 万物の根本であり
仏教でいう諸法無我ということに近い

そんな存在の本質
五感だけではむずかしく
「第一の自分」だけでもむずかしく
「第二の自分」でかろうじて気づく

風雨に耐え
今ここ咲けり
ユリの花

*「諸行無常」は、万物は常に変化し少しの間も止まらないということ。「諸法実相」は、いかなる存在もあるがままあるということ。「諸法無我」は、いかなる存在も無限の関係性であるということ。(筆者解釈)

2023年6月11日(日)
梅の雨

 梅の雨

梅雨入りして2週間
今日は しとしとと細い雨
昨日挿した苗にはいい雨になった

ところで
パラレルワールドと言うと
何も量子力学の世界だけではないようだ

穏やかな平和な暮らしと
戦争で今にも命が危ない暮らし
豊かな食糧に恵まれている社会と
食べることにも事欠き命も危ない社会

これらは
今の現実の世界で
多々同時に起きていることだ
これらもパラレルワールドではないのか

心の中にもある
沈んだ心 浮いた心
重くなった心 軽くなった心
小さくなった心 大きくなった心
これらも同一人に同時に在るではないか

やむを得ないときもあるが
パラレルワールドの一方を
やっぱり その瞬間 その瞬間に
その人や社会が選び出しているではないか

手繰りたる
並行世界
梅の雨

*「パラレルワールド」は、観察者がいる世界から、過去のある時点で分岐して併存するとされる世界。(『デジタル大辞泉』小学館より)

2023年6月5日(月)
梅雨入りして

 梅雨入りして

梅雨入りして1週間
今日は 薄雲が広がり
強い陽射しを和らげている
野菜の苗植えには絶好の日より

およそ
種子植物と呼ばれるもの
厳しい条件下で発芽し
厳しい条件の中で育つ

ヒトは
縁という条件下で胎児となり
これまた厳しい条件の中で生まれ
乳児から苦とともに成長し一生を過ごす

総じて
条件が厳しいほど
耐えて成長すれば
値打ちが上がる

日とともに
耐えて育てよ
夏野菜

2023年5月29日(月)
くるくる回り

 くるくる回り

身の周りでは
自動車 電車 電化製品など
数限りない大小モーターのおかげで
便利な生活ができている

転じて
マクロ世界では
地球は 1日に1回転
太陽の周りを1年に1回転
その太陽も 天の川銀河を回っている

ミクロ世界では
電子が原子核の周りを
時間と位置が定められないほど
高速で回っている

突き詰めれば
空間は縦横高さの3方向で成り立ち
方向と距離でその広がりができる
でも この回ることのなかに
はたらきがあるようだ
空間存続の力

竹とんぼ
くるくる回り

梅雨空へ

*例年より1週間ほど早く梅雨入りした。なお、「電子は、運動量と位置は不確定」というのは、「ハイゼルベルクの不確定性原理」と呼ばれている(2003年に小澤正直氏によって修正)。

2023年5月18日(木)
夏の暑さにも負けず

 夏の暑さに負けず

まだ5月というのに
春風は吹くものの真夏の暑さ
こんななか宮沢賢治の詩にあやかる

夏の暑さにも負けず
冬の寒さにも負けず
コロナウイルスにも負けぬ
丈夫な体を持ち

東に
人生を諦めそうな人あれば
生きていることに意味があると言い

西に
生活苦の人あれば
収支を明らかにし一歩ずつ立て直そうと言い

南に
病気で苦しんでいる人あれば
治療を続けながらも心気を養おうと言い

北に
人を悲しませている人あれば
次の世で立場が逆になってもよいかと言う

そうして自分はと言えば
春風が通り抜けていくような
誰からも苦にされない
そんな生き方がいい

*宮沢賢治(1896-1933)は、岩手県出身の詩人・童話作家。

2023年5月3日(水)
山々の緑が

 山々の緑が

山々の緑が瑞々しく
ゴールデンウィーク真っ只中
野にはアヤメ科やラン科の花々が目を引く

おしなべて
命が生まれ増えていくとき
活力も増し明るい雰囲気になる
かたや 命が絶え減っていくとき
活力も減りさみしい雰囲気になる

先人も言うように
世の中の物すべては
時の流れとともに変わり
生まれ変わり 死に変わる

でも
身の周りの雰囲気
明るくても さみしくても
味わえることは限りなくありがたく
感謝をもって受け止めたいな

夏近し
命あふれる
この山野

2023年4月20日(木)
ツツジ咲く

 ツツジ咲く

燃えるように咲いた
「つどいの丘」のキリシマツツジ
赤色をもとにピンクと白色が
絶妙に交じり合っていた

やはり
これが赤色だけでは
くどくにもなり単調にもなる
ほどよいブレンドがちょうどいい

色彩だけでなく
人の社会も似ている
多様性を受け入れながら
まとまりや方向性を出していく

そのために
忘れてならないのは
微視的な見方 巨視的な見方
あるいは 「長い目」「広い目」
そして「深い目」の見方だ

ツツジ咲く
つどいなごむや
つどい丘

*「つどいの丘」はトヨタ労連の研修施設。「長い目」は時間論、「広い目」は空間論、「深い目」は存在論の見方(拙著『四季開眼』2020年、展望社、も参照)。

2023年4月17日(月)
ライラックの花

 ライラックの花

春風に乗って
我が家の東側の庭で
ライラックの花が咲いて
ほのかな芳香を放っていた

足元を振り返って
私たちの住んでいるこの世界は
本当のところはどんな世界なのかな

仏教で
諸行無常
この世のものは
絶えず変化していく

諸法無我
すべてのものは
因縁によって生まれ実体はない

この教えを
人の生き方にシフト
善因縁は善果をもたらす
ただ 善果と言えども実体はない

そもそも
絶えず変化していくなかで
関係性が満ち満ちていることが
この世界の真相のようだ

ライラック
高きところで
香りけり

*諸行無常(しょぎょうむじょう)と諸法無我(しょほうむが)は、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)を加えて仏教の三法印(さんぼういん)と呼ばれている。

2023年4月10日(月)
春の霜

 春の霜

昼間は20度越えでも
上空の寒気と朝方の放射冷却で
霜が降りることがある
今日この頃

思うは
一枚の紙にも

表があり裏がある
ため池の水にも
水面があり底がある
そして その中間もある

人の心に当てはめれば
心には表があり 裏や底がある
そして その中間もある

これに対して
ニック・チェイター氏
「人の心は表面しかない」
このように言い切る

でも 人の心は
裏や底 中間に支えられている
そこが豊かであればあるほど
それだけ豊かさが増す
聖人 偉人 達人の顔
豊かさを秘めているではないか

春の霜
出逢いたくない
新芽かな

*ニック・チェイター著『心はこうして創られる』講談社選書メチエ、2022年、参照。

2023年4月5日(水)
ソメイヨシノも

 ソメイヨシノも

ソメイヨシノも
春風に乗ってハラハラと散り
いよいよ見納めとなった

こんななか書見で出会った
英国の大学院教授 ニック・チェイター氏
「心には表面しかない The Mind is Flat」
「思考とは瞬間ごとに自分で考案している
フィクションなのだ」と

彼の論考は
「この世において存在する
すべてに実体はない」とする般若心経
ここにある「諸法実相」へ一歩接近かな

ヒトは意識の上では
万物と一緒になることも
現在だけでなく過去へ行くこともできる
それでいて普段の生活に戻ることもできる

また
一瞬のなかに永遠 永遠のなかに一瞬
微塵のなかに無限 無限のなかに微塵
このようにとらえることもできる

だからこそ大事にしたい
「第一の自分」だけでなく
精神の深いところにある意識
また 包み込むように在る
言わば「第二の自分」

散る桜
また来年と
去りにけり

*ニック・チェイター著『心はこうして創られる』講談社選書メチエ、2022年、を参照。ところで、「フラットな心」で心の深層を知ることができるだろうか。

2023年3月27日(月)
オウバイの花

 オウバイの花

我が家の庭
白いコブシの花に替わって
今は 黄色いオウバイの花が満開

こんななかたまたまテレビ出演の
作家の五木寛之氏の言葉
「生きるだけで意味がある」

若いころは
失敗したり挫折したり
失恋したり左遷されたりすると
また 歳をとっても
体が不自由になったり
介護を受けるようになると

「もう僕なんか もう私なんか
何の役にも立たないんだ」と
落ち込んでしまいがち

でも それは
「生きること」に比べれば別次元のこと
それは「生きることの意味」を
自ら知るよい機会となり
AIにはできないこと

そう言えば
白色もいいが黄色い色は
生命力が外にあふれ出ているようだ

オウバイ花
明るくなりし
庭模様

*五木寛之(1932- )氏は、「努力することが老年の目的」とも述べていた。

2023年3月20日(月)
我が家のコブシ

 我が家のコブシ

我が家のコブシ
枝には まだ花びらを多く残し
庭には その白絨毯をしいていた

人は前を向き
前にある事物がよく目に入る
これはその対処 処理には好都合

でも それで
ときに 疲れてしまうことがある
ときに 何かにつまずくこともある

そんなときには
後ろを振り向いてみるといい
そこには 青い大海原が広がっている

さらには
宇宙から振り向くことができれば
母なる青い地球が目に入るはず

私たちは
無限大の世界にあって
愛の羽毛にくるまれている

白絨毯
コブシの花や
匂いけり

2023年3月5日(日)
早春の土手

 早春の土手

早春の土手
白い花はナズナ
赤い花はホトケノザ
青い花はオオイヌノフグリ

ああ
土手の花々に
意識の風が吹き渡る

意識の風は
自然を外から観たり
自然そのものになったりする

そう言えば
S・フロイトは

意識化の度合いによって
意識 前意識 無意識があるとした

さらに
C・G・ユングは
無意識を二つに分け
人類が共通して持つ深い層
「集合的無意識」を例示した

でも
その地域その時代の
風土や風潮 仲間などでつくられる
「集合的意識」もあってよさそうだ

風光る
原風景や
はるかなり

*C・G・ユングの例示した「集合的無意識」は、ペルソナ(仮面)、シャドウ(影)、太母、老賢者など。(『心理学キーワード』オクムラ書店より)

2023年2月23日(木)
晩冬の木々

 晩冬の木々

晩冬の木々
気温は10℃に届かなくても
陽射しの暖かさがあってか
今にも芽吹かんとしている

こんな意識の風
過ぎた過去の残感と
未来への予感を含んで
今 吹き渡っている

過ぎた近くの過去は
この1週間か2週間前のこと
遠くのその過去は
自分が木々に関心を
持つようになってからのこと

その未来へ向かっては
これから2週間か3週間のうちに
しっかりと芽吹くであろう
こんな予測を含んでいる

さらには
生きているものはみな
一瞬一瞬を精一杯生きていても
その先にはやがて死を迎える
こんな意識も潜んでいる


大空を
つかまんとする
冬木の芽

*下西風澄著『生成と消滅の精神史』文藝春秋、2022年、164頁参照。

2023年2月16日(木)
冬の梅

 冬の梅

わたしの体感温度
10℃を越えると暖かく
10℃に達しないと寒く感じる
ただ風速1メートルの風で1℃程下がる

でも 今日は
梅の花がチラホラ
風はソヨソヨで
8℃でも暖かい

デカルトは
「我思う故に 我あり」と言うが
「我感じる故に 我あり」でもよいのでは
問題は「我あり」のところ

自分の身体
「第一の自分」に当てはまるが
「第二の自分」があるとして
その所在のところ


「第二の自分」は
「第一の自分」とともにあり
普段は すっぽりそこに収まり
ときに 「永遠の生命」とつながり
ときに 「無限の世界」とつながる
そんな在り様かな

冬の梅
体感温度
上がりけり

*R.デカルト(1596-1650)は、フランス生まれの哲学者・数学者。

2023年2月9日(木)
冬の山は

 冬の山は

冬の山は静か
主な仕事は間伐
細めの木はノコギリで
太めの木はチェンソーで

そんな仕事をする我が体
時間のなかに生き
生かされている

朝が来て
昼となり夜となる
こうして一日が過ぎる
これを知っているのはこの体

春が来て
そして夏となり
秋となり冬となる
こうして一年が過ぎる
これを知っているのもこの体

この世に生まれ
育てられ 支えられ
育て 支えて 老いる
こうして一生が過ぎる
これを知っているのもこの体

冬の山
息止め見れば
静かなり

*前述の広井良典氏は、その著書『無と意識の人類史』で、「時間を超えた何か」を「有と無の根源にあるもの」としている。

2023年2月4日(土)
冬木かな
 冬木かな

やっと立春
このところの寒気団の居座りで
アカギレとシモヤケに事欠かない我が手

こんななか
冬木の整備をしていると
シジュウカラが近くにやって来た
お目当ては ヒサカキの黒い実なのかな

そう言えば
センリョウやマンリョウの赤い実は
もう野鳥たちに食べつくされ
残るはヒサカキの実

もとよりここに
センリョウやマンリョウやヒサカキ
これらの実のなる木が根づいたのは
幾年前 幾十年前の野鳥たちの仕業

人は 目先のことにとらわれて
十年前 それ以前のこと
十年後 それ以降のこと
あまり考えが及ばない

大地に根
大空に向かいて
冬木かな

*十日ほど前、新家に孫が生まれ、「大空(そら)」と命名された。
2023年1月27日(金)
大寒の中日

 大寒の中日

今日は大寒の中日
あまりの寒さに耐えかねて
つい上着の下に重ね着
靴下も重ねばき

こんな日に思う
アイデンティティという衣は
自分の時間的空間的立ち位置を定め
自他と分けるのに役立っている

ところが
自他と分けない見方がある
それは 仏教で言う「自他一如」

また
右脳の思考の細胞群も

この体を「魂の神殿」と見なし
宇宙へも開かれていると見ている
このように言う神経細胞学者もある

そうではあっても
生活をしていくためには
アイデンティティの衣を着て
中庸の道を行くことをよしとする

やはり
自他と分けることと
自他を分けないこととは
表裏一体

着ぶくれや
守らんとする
我はここ

*アイデンティティは、主体性、独自性、過去からの連続性、および集団帰属感、社会的受容感などの総体(『臨床心理学キーワード』より)。「自他一如」は、自分と他人が一つになること(「WEBサイト」より)。「魂の神殿」は、神経細胞学者のジル・ボルト・テイラーの著作『WHOLE BRAIN』による。

2023年1月21日(土)
早咲き小梅

 早咲き小梅

寒中というのに
南に面した土手に
もう小梅が一輪咲いていた

こんな日に
書見で出会った
社会学者の広井良典氏
「私の人生とは
時間を超えた何かから生まれ
しばらくの間 時間のなかを生き
再び時間を超えた何かに帰る歩み」と

続けて
「その歩みの全過程
あるいは 生の瞬間 瞬間において
私たちは 時間を超えた何かとつながり
それによって 支えられている」と結ぶ

学者である著者は
時間を超えた何かについて
「あの世」や「魂」は使わなかったが
これにあたるものがあるとすると
すべてうまくつながる

陽だまりや
早咲き小梅
時忘る

*ここでの引用文は、広井良典著『無と意識の人類史』東洋経済新報社、265頁

2023年1月14日(土)
白雲に包まれている

 白雲に包まれている

糸より細い雨
「つどいの丘」玄関ホールから
いつもよく見える猿投山は
白雲に包まれている

ただ
見えないからと言って
そこに猿投山がないわけではない

私たちは
地図と時計を共有する
そんな世界に住んでいる

でも
地図も時計もない
そんな世界もあるという

そう言えば
生まれたときは
地図も時計もない
置かれた所と時が全世界

歳月を経て
再びそこに立ち戻れば
無限と永遠の世界が開けてくる

ああ
目つむれば
まぶたに浮かぶ
冬の山

*生まれて間もない乳飲み子は、まだ這い出すこともできず、空腹になったり、おむつが汚れたりすれば、泣くことで親に知らせている。まさに寝ているところが全世界。

2023年1月8日(日)
満月の出迎え

 満月の出迎え

今朝の早朝ジョギング
引き締まった空気のなか
西空から明るい満月の出迎え

こんな出合いに触れると
どうも私たちヒトは
地上の日常茶飯事に
気をとらわれ過ぎている
こんな思いに浸る

だからといって
日常の一つ一つの事柄を
ぞんざいにしていいということではない
目先のことに善処し大きな課題にも
長い目 広い目 深い目で
善処すること

そのなかで
とりわけ宇宙からの贈り物に
もっとしっかり耳を傾け
感謝すること

ああ そうそう
私たちは 家族の一員だけでなく
地球の一員であり
宇宙の一員

冬の月
仰ぐ足元

地球かな

*「長い目」は時間論での見方、「広い目」は空間論での見方、「深い目」は存在論での見方。詳しくは、拙著『詩集 表裏一体』北辰堂出版、47ページ参照のこと。

2023年1月1日(日)
穏やかな元日

 穏やかな元日

穏やかな元日
初日の出に 氏神様に
手を合わせる

そんな元日
お屠蘇が進みに進み
墓は要る 要らないで
家内と意見の対立

こんなとき
J・B・テイラー氏に言わせれば
左脳の感情の細胞群が優勢となり
思考の細胞群が沈黙
さらには 右脳の
感情と思考の細胞群も沈黙し
全体脳としての働きをなくしていると

なんだか
煩悩の所在は
左脳の感情の細胞群にあるようだ

元日に
煩悩の所在
見つけたり

*J・B・テイラー(1959- )は、アメリカの神経細胞学者。著書に『奇跡の脳』2009年、『WHOLE BRAIN』2022年、などがある。

2022年12月22日(木)
今日は冬至

 今日は冬至

今日は冬至
分厚い雲のためか
昼間でも暗い

でも
今日を境に
日一日と昼間が長くなる
このように思えば何かしら明るい

私たちには
頼りにしている太陽暦のほか
24時間周期の体内時計がある
これはタンパク質の働きによるもので
この体がある限り働く

では
この体を脱して
意識だけになれるとしたら
この時間の壁を超えられるのかな

それにしても
時々刻々と変わる時間
その瞬間 その瞬間のなかに
永遠なるものが潜んでいるようだ

意識もて
壁を超えなん
冬至かな

*アントン・ツァイリンガー氏は、量子テレポーテーションを実証した。(2022年ノーベル物理学賞)

2022年12月15日(木)
ストーブの前で

 ストーブの前で

ストーブの前で
アルミホイルで包んだ
薩摩芋をひっくり返しながら
新聞を広げて世の中の動きを読む

専守防衛から反撃能力保有へ
防衛費をGDP1%から2%にするために
どこから金を徴収するかが課題

一つは 所得税
一つは たばこ税
一つは 復興税

どれもリスク
個人や企業を直撃
たばこ農家を直撃
災害復興を直撃

防衛予算の増税徴収先
大方の国民が納得するには
短期 長期の道がある

短期的には
予算の無駄遣いから
汚職の役人や政治家から
不正企業から取り立てること

長期的には
地方を含め議員の定数や経費を削減すること
そうして経済や政治や国民の道徳を高め
「有徳富国」の国にすること


ストーブで
もの焼ける間に
読む時勢

*「有徳富国」は、川勝平太氏の言う「富国有徳」を参考にした。なお、『大学』には、「徳は本なり 財は末なり」とある。

2022年12月9日(金)
冬の星

 冬の星

初冬の未明
西空で月と火星がランデブー
天頂近くに目を移せば
ここぞと北斗七星

山田無文老師
真実の法について
「心が天地宇宙に満ち満ちている」
このことが分かることと説く

さてさて
この広大無辺の宇宙に
物資ではない心が満ち満ちているとは
一体どういうことか

そもそも
この大宇宙には
ダークと冠する物資とエネルギーが
なんと95パーセントほどもあるという

それなのに
どうして心が満ち満ちていると言えるのか
もしかして 異次元を見通す
眼力がいるのかな

それはそれとして
「心が天地宇宙に満ち満ちている」
なんとロマンに満ちていることか

冬の星
心の星と
まばたけり

*山田無文は、「真実の法とは、心が天地宇宙に満ち満ちていると分かることである」と記している。(『臨済録下巻』、禅文化研究所、75頁)

2022年12月3日(土)
木枯しも

 木枯しも

木枯し吹く「つどいの丘」ロビーにて
「自分の役割を見直してみよう」と
次回の研修会テーマが決められた

定年後の今の自分としては
先ずは 妻に対しては夫
子供に対しては父親
孫に対しては祖父
こんな役割かな

次には
国家や地域社会に対しては
法律や条例やモラルを守ること
選挙も納税などもきちんとすること
縁ある慈善事業へ寄付をすることかな

さらに
身近なことでは
畑で野菜づくりを励むこと
そしてそれを子供らに食べてもらうこと

待てよ
自身に対しては
心を耕し 心を磨く
これを精一杯やりぬくこと
そしてその道程を詩の形で表すこと

木枯しも
役割ありと
吹き渡りけり

*存在の根本には、役割があると考えられる。ただ、とりわけ人では、自分自身について「役割ナシ」ととらえても、周りなどからはそうではないこともある。

2022年11月27日(日)
冬支度

 冬 支 度

晩秋の雨が上がり
野山の木々 色づいて落葉
冬支度 真っ最中

木々が色づいて落葉
その様 苦しまず悲しまず
ただ自然の営みに任せきっている

人の一生では
およそ老年期が
これにあたるのかな

人の老年期は
若いときのような体力はないが
自分に向き合う経験などの蓄積がある
さらに そのための時間もある

このことが
どんなにありがたいことか
それは 計り知れないものがある

冬支度
老いの佳境を
楽しまん

*孔子は、「憤を発して食を忘れ、楽しみをもって憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らず」と、弟子に語ったという(『論語』述而第7より)。

2022年11月20日(日)
紅葉が一段と

 紅葉が一段と

穏やかな晴天日には
霜が降りるころとなり
紅葉が一段と進んだ

こんななかの先日
視察研修の「おたより」を
プリンターでスキャンをして
ホームページにアップできなくなった

元をたどれば
デジカメに充電した電池を
入れ忘れたこと

でも
直接の原因は
プリンターの用紙選択を
L版からA4モードへ戻すことを
忘れていたこと

もう少し言えば
デジカメの代わりに
スマホで撮影したために
その写真のプリントアウトに
A4からL版にしたままであったこと

そう言えば
人生行路で出合う出来事と
大なり小なり似ているようだ
一見 関係のなさそうなことが
因果の糸できちんと結ばれていること

陽当たりで
紅葉赤あか
元を知る

2022年11月13日(日)
小さな作品展

 小さな作品展

久しぶりの雨
この雨で散り始めた
落葉広葉樹の落ち葉が
一気に進んだ

こんななか
小さな行政区の小さな作品展
知人の展示作品も多くあり
人となりを映していた

そのなかで
恩師の書道作品
とても94歳とは思えない
元気な筆勢で漢字6文字が書かれていた

この作品展
当番の接客もよく
部屋全体の空気も温かく
気持ちよく会場を後にした

暮れの秋
ほのぼのうれし
展示会

*この作品展は、隣の深見区での催し。

2022年11月6日(日)
菊日和

 野に小菊

野に小菊
穏やかな日和のなか
自然は一歩また一歩と
冬支度をしている

こんななか先日のこと
コロナワクチン接種の予約窓口で
「診療時間外に来てください」
そう言われて起きた感情は
「また来にゃならん!」

この感情
1か月ほど前にもあった
マイナポイントの受取り手続きで
「このスマホアプリを入れて来てください」
このように言われたときも

この感情の裏には
ここに来たことが無駄足」
こんな思いが確かにあったな

でも
本当にそうだろうか
自分の間違いや不足を知っただけでなく
待合室での雰囲気などを感じ取ったり
職員の方と話ができたではないか

人生に無駄なことはない
無駄と感じたそのときは
自分の知恵袋が縮まっているとき

菊日和
のどかななかも
無駄はなし

*文殊菩薩の言葉として「つまらぬと言うは小さき知恵袋」が伝わっている。

2022年10月29日(土)
流れ星の閃光

 流れ星の閃光

早朝ジョギング
街灯の明かりを避け
まだ暗い路上に入ると
前方右上にオリオン座
その近くに流れ星の閃光

こんななか
心にふと浮かぶは
自分が教職にあったころ
熱い血潮をたぎらせていたこと

その教職も閃光のように過ぎ
定年退職後ももうすでに十五年
これも一瞬のうちに過ぎ去った
余生も一瞬のうちに過ぎるに違いない

かたや
三千数百年前のモーセからでも

人類史上幾多の偉人聖人が生まれ
桁外れに大きな輝きを放って
消えて行った

釈迦 孔子 老子
イエス マホメットなどしかり
日本でも 聖徳太子 空海
法然 親鸞 道元 日蓮
白隠などしかり

よく似けり
人の生き様
流れ星

*数学者の藤原正彦(1943- )氏は、「貴重な一瞬の時間を、悠々と真理の追究に使う方がよほど血の通った人間らしい生き方だと思う」(『知性』1999年、MOKU出版社、31頁)と記している。

2022年10月21日(金)
ホトトギスの花

 ホトトギスの花

今年の我が家の庭
葉が虫にひどく食べられ
もう咲かないものと諦めていた
ホトトギス

そんなこのごろ
体中が硬くなった
物覚えが悪くなった
集中力がなくなったなどと
仲間から耳にすることが増えた

それらへの善処は
体を柔らかくするには酢
物覚えにはチリメンジャコ
集中力にはバナナなどなど

その外に
通じ 運動 睡眠
これらのよい習慣を持つこと
加えて好奇心を持ち続けること


一番避けたいことは
歳のせいと諦めてしまうこと
これが老化を加速させてしまう大本

老いに善処
老けない道を行く
たくましく咲いた
ホトトギスの花のように

*筆者は、ポリフェノール・DHA・葉酸などを多く含む食材に配慮して快食するようにしている。併せて、快便、快働(脳活・筋活等)、快眠に心がけている。

2022年10月13日(木)
再びパラレルワールド

 再びパラレルワールド

今年のノーベル物理学賞
受賞者が欧米の三氏だったためか
日本ではあまり騒ぎにはならなかった

でも
この三氏
量子情報科学で大きな成果
理論では分かっていた量子もつれを実証し
量子コンピュータへの道を開いた

この量子情報科学の基は
量子もつれの二つの粒子
「一方の状態を測定すれば
その時点でその状態が決まり
どんなに離れていても
もう片方も決まる」というもの

これを使って
「ある粒子から別の粒子へ
情報の遠隔操作ができる
量子テレポーテーションが
可能になる」という

コインで例えれば
あるコインの表の動きが
同時に別コインの裏の動きにつながる
そんなパラレルワールド

パラレルワールドを
人の生き方に当てはめ
必ず並行世界があるとし
この世界を生きれば
謙虚さが増すのかな

*2022年のノーベル物理学賞は、量子もつれを実証したアラン・アスペ氏とジョン・クラウザー氏。それに、量子テレポーテーションを実現したアントン・クラウザー氏の3氏。(毎日新聞2022.10.3記事、同10.13「科学の森」参照)

2022年10月8日(土)
秋の深見町畑にて

 秋の深見町畑にて

秋の深見町畑にて
つと頭を上げると猿投山
青い空と白い雲

見慣れていても
なんと麗しいことか
そういえば 日本には
麗しい自然の外にも
麗しい文化がある

「昨今 日本は
少子高齢化は進むし
産業も経済も停滞していて
ほとんどダメな国になっている」

このように言う人がいる

でも 日本には
千年近く育まれてきた
「和の文化」「恥の文化」
「敬の文化」「礼の文化」など
麗しい文化がある

「和の文化」は
違いを結びつける力がある
「敬の文化」「礼の文化」は
道徳や秩序もたらす力がある
「恥の文化」は動物と分ける力がある

秋うらら
見上げる我を
映しおる

*現在の日本は、日米同盟と日中協商が機能するなかで、TPPとRCEPを取りまとめ、EUと英国とはEPAを結んでいる。さらに、日米豪印とクワッドを構築している。不安定な世界にあって、ロシアと北朝鮮は別として、どの国とも話ができる立ち位置にある。

2022年9月30日(金)
もうキンモクセイ

 もうキンモクセイ

もうキンモクセイ
子どもの頃は秋祭りの頃
今年は半月ほど早まっている
季節の進み方が早まっているようだ

季節の進み方が早まっている分
この世で残されている時間も
縮まっているようだ

そんなこともあってか
後に残った家族が困らないよう
身の回りを少しずつ片付けたくなった

残すものは
証書 アルバム 労作の類
捨てるものは
古道具 古資料 ノウハウ本の類
いつか役に立つと思うと
なかなか捨てられない

一番厄介なのは
目に見えない「貪欲」
見えるものだけでなく
そんな目に見えないものも
捨てるには「思い切り」がいる

捨てる秋
思い切りかな
身の回り

*「貪欲」は、「自己の欲するものに執着して飽くことを知らないこと」(『広辞苑』より)

2022年9月23日(金)
今日は一日中雨

 一日中雨

台風の影響もあり
今日は 一日中雨

こんなときチャンスとなるのは
家の壁面の汚れ落とし

チャンスには
向こうからやってくるものと
こちらから作り出すものとある

向こうからやってくるときは
なんとかしようと関心をもつなかで
これはチャンスと看破すること

こちらから作り出すときは
こつこつ努力に努力するなかで
これはチャンスと自覚すること

チャンスを生かすには
関心と努力のほかに
この看破力と自覚力
これが物を言う

そう言えば 
台風影響下のこの秋の雨

家の壁面だけではなく
心の汚れ落としも

チャンスとなる

秋の雨
汚れ落としの
チャンスかな

*今週は、台風13号と15号の影響を続けて受け、雨の多い週となった。

2022年9月14日(水)
「はーい」と

 「はーい」と

畑仕事をしていると
ウォーキング母子によく出会う
「おはようございます」と
帽子を取ってのあいさつ

こちらも
「おはようございます」
「今日一日 がんばって」と

すると決まって
「はーい」と
男の大きな声が返ってくる

その声の色
まるで邪気がなく
心にストレートに響いてくる

そう言えば
「ある方の笑い声が
まるで宇宙の果てから
響いてきたようだった」と
語った方もいた

ごく短い言葉
それに乗せて深いものを
伝えることがある

天高し
純な声色
はーいかな

2022年9月10日(土)
秋風の下

 秋風の下

虫メガネでないと
よく見えないような白い点の花
そんな花をつけるのは
フタバムグラだ

宗教学者の阿満利麿氏
「死は壁のようにあったが
今では 点になった」
「死は たしかにある
でも それは通過点」と言う

たしかに
死とともに肉体はなくなり
「眼耳鼻舌身意」でキャッチすることも
「受想行識」とアクションすることもできない

あるのは
それらに頼らない
意識であり精神である
言わば「第二の自分」である

「第二の自分」は一人ぼっちではない
あっちにもこっちにも仲間がいる
それら「第二の自分」たちは
「永遠の生命」の分身

この世は
仮住まいであり
「第一の自分」磨きを通して
「第二の自分」をも磨く道場である
この認識が「死は通過点」となるのかな

フタバムグラ
秋風の下
繫茂かな

*阿満利麿氏は、NHK「心の時代」に出演し、「死は通過点」と述べていた。

2022年9月2日(金)
言葉選びも

 言葉選びも

畑対談中
知ったかぶりで
「○○のがんは まずいね」
相手が○○のがんとは知らずに

こんな言葉を発してしまった後
いかに取り繕おうと
後の祭り

人は
知らないうちに
相手を傷つけていることがある

もっとも
わざと相手を傷つけようと
発する言葉のときも
あるかも知れない

あるいは
きつくても相手のために
発する言葉のときも
あるかも知れない

いずれにしても
ものにしておきたいな
用心に 用心して
言葉を発する習慣

秋の畑
言葉選びも
心して

*なかには自分の名前を隠して、人の陰口や悪口を言う者がいる。これなどは、もっとも慎まなければならない。

2022年8月24日(水)
過ぎてしまえば

 過ぎてしまえば

夏至のころより
40分余り 日の出は遅く
日の入りは早くなった

「月日は百代の過客にして
行きかふ年もまた旅人なり」
このように始まる『奥の細道』

作者の松尾芭蕉
「閑かさや岩にしみいる蝉の声」
このあたりは一瞬の中に永遠を見る
そんな感性がうかがえる

私たちは
一方通行の時間の流れ
しかも歳とともに速まる時間感覚
そんな世界から逃れられない

ところが
一芸に達した人には
ボールが止まって見えたり
全てがスローモーションのように見えた
そんなときがあるようだ

ゆく夏や
過ぎてしまえば
懐かしき

*「ボールが止まって見えた」と語ったのは川上哲治氏、「全てがスローモーションのように見えた」は「ゾーン」に入ったアスリートの少なくない経験。(毎日新聞余録2022.8.4参照)

2022年8月15日(月)
パラレルワールド

 パラレルワールド

パラレルワールド
この世と並行してある世界
これまでは笑止の世界であったが
量子の世界では可能性が大

例えば
光子や電子といった量子をそれぞれ多数
一重スリットを通すと一本線
二重スリットでは干渉縞
量子は波として現れる

ところが
どのようにスリットを通ったか
カメラに収めようとすると
干渉縞ではなく二本線

これは
波と粒子と同時並行の量子が
量子デコヒーレンスによって
粒子として現れたことになるという

パラレルワールドを
ヒトの生き方に当てはめてみて
必ず並行世界があるとして
この世界を生き切れば
別世界が開くのかな

*量子デコヒーレンスは、量子系の干渉性が環境との相互作用で失われる現象(「ウィキペディア」より)

2022年8月8日(月)
イノシシ出没

 イノシシ出没

このごろ
我が家の畑付近に
ミミズなどを求めて
イノシシが出没している

イノシシには
里山が年々少なくなり
人里に出ざるを得ないのかな
でも 生産者には
育てた作物が
食い荒らされては
たまらない


眼を世界に転じて
これまで営々と築いてきた
住宅や学校や病院や工場などに
突然 ミサイルを撃ち込まれては
これまた たまらない

やはり
イノシシ出没の前に
ミサイルの撃ち込まれる前に
何らかの手を得てなかったのか
ここが問われるところ

里の畑
避けておくれよ
ミミズとり

2022年8月1日(月)
かがみにはうつらない

 かがみにはうつらない

ほんとうのじぶんは
かがみには うつらない
それでも ちかくにいるようだ

ことりの さえずり
ほしぞらの かがやき
はだにやさしい そよかぜ
くさきの いろあいや かおり
そんなしぜんと ふれあうとき
われをわすれていれば なおさらだ

また
こつこつ からだをきたえ
せいいっぱい あたまをきたえ
こころをきたえているときも

そうかといえば
ひとにやくだつことをして
よろこばれているときも

そんなときだけでなく
たいへんなしっぱいをしたり
たいせつなひとやものをなくしたり
それで おちこんでいるときも
ちかくによりそっているようだ

それでも
かがみには うつらない
ほんとうのじぶん

*「ほんとうのじぶん」は、拙著『四季開眼』2020年、展望社、でいう「第二の自分」に当たる。

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山川白道の作詩日記18