白道の作詩日記13    作詩生活へ 平生連へ 

2018年7月26日(木)
畑の一角に

 畑の一角に

畑の一角に
雑種の花壇がある
ボケ イチハツ アヤメ
そしてヒマワリと順に咲く

そんな咲き様で浮かぶ
資本主義か社会主義か
自由主義か保護主義かで
損益などにかかわって
国家間の貿易戦争

約250年前にも
農産物の自由化か
工業製品の保護関税化かで
アメリカ国内では南北戦争

約千年前には
聖地奪還などにかかわって
キリスト教国とイスラム教国で
約2世紀にわたる宗教戦争

やはり
対立のときには原点回帰
互いに生かされていること
この一点に気づくだけで
共存共栄の道が開ける

雑種の花壇
この頃の記録的猛暑のなかでも
互いに支え合い助け合って
生き生き育っていた

*当地では、今日で13日連続で35℃以上の猛暑日。

2018年7月20日(金)
タマムシや

 タマムシや

真夏の空の下
ケヤキの上の方で
タマムシが飛び交っていた

人の生活
衣食住を始めとして
家族 地域 国家
国際社会 自然環境
これらと深くかかわっている

なかでも衣食住は
欠くことができない
災害時ではそれを実感する
その欠くことのできないことから
人は何とかこれを手放さないようにする

その他にもある
安全や愛情の欲求
おカネや称賛の欲求などなど
そこらあたりなんだなあ
執着が生まれるところ

この目に見えない
粘っこい貼りつけるもの
これをほんの一とき解き放つ
これだけでも違う
身の軽やかさ

タマムシや
枝を飛び交う
軽やかさ

*心理学者のA・H・マズローは、「人の欲求には5つの階層があり、下位の欲求が満たされると、上位の欲求が生じる」という欲求階層説を唱えた。

2018年7月13日(金)
アオスジアゲハが

 アオスジアゲハが

県緑化センターのトンネル出口
三角羽のアオスジアゲハが
水を求めて舞っていた

そんなときごろ

意識が意識に浮かぶ
地球誕生からすれば約46億年
生命誕生からすれば約38億年の
気の遠くなるような長い時を経て
人に意識が生まれた

この意識
時と時の間を結んで
時間の扉を開く鍵となり
無限の空間の入口となっている

この意識
この世の束縛から離れ
天地と一つになった時
桃華が眼晴にもなり
竹声が耳根にもなる

水求め
アオスジアゲハ
ただ無心

*霊雲禅師が桃華に、香巌禅師が撃竹に出会い、それぞれ悟りを開いたと言われている。

2018年7月5日(木)
庭のみどり

 庭のみどり

我が家の庭
このところの雨でよく伸びる
スズメノカタビラ カタバミ メヒシバ

そんな草に誘われ
感じたり 知ったり
意欲したり 判断したり
このような精神の働きを思う

これらの働きは
脳内にそれらを担う領域があり
それぞれが分業している

米国の脳科学者フリーマンは
各領域を高速で循環している
広域的アトラクターがあり
それが一瞬止まった時に
意識が生まれるとした

さてそうすると
意識は連続的ではなく
あたかも量子論のように
とびとびに生まれることになり
そこに時間が成立していることになる

この恐ろしいほどに
神秘なる営みによって
人に時間の考えが生まれるようだ

庭のみどり
抜かれる草は
ただ無心

*脳科学者・医師の浅野孝雄氏は、フリーマン理論と唯識を比較し、『古代インド仏教と現代脳科学における「心の発見」』を著した。

2018年6月29日(金)
かなり蒸し暑い

 かなり蒸し暑い

梅雨明け間近
南からの湿った風
かなり蒸し暑い

そんなこのごろ
時間のことを思うにつけ
幼いころは一日が長く
歳を重ねるごとに
短く感じる

哲学者の西田幾多郎は
時間と言う考えが起こるには
まず 意識内容が結合せられ
統一せられて一つになることとし
意識内容の統一作用によって
時間が成立するという

そうすると
その意識内容の統一作用が
幼いころはゆるやかでも
歳を重ねるごとに
速くなることになる

人が他界するとき
意識内容の統一作用は最速
そうして その統一作用は消え
「永遠の生命」と一つになる

蒸し暑くても
風がある分過ごしやすい
関東ではもう梅雨明け

*ここでは、西田幾多郎著『善の研究』岩波文庫、第42刷77頁参照。関東の6月中の梅雨明けは、観測史上初めてということである。

2018年6月22日(金)
このトケイソウも

 このトケイソウも

我が家の庭でトケイソウが咲いた
近づいて見ると雌しべが3つに分かれ
時計の長短と秒の三針のよう
こんな花に誘われて浮かぶ

高校生のころ
古典のなかで三宝印の一つ
「諸行無常」に出合った
それは 万物は常に変化し
止まることはないというもの

大学生のころ
物理を学ぶ中でアインシュタインの
「相対性理論」に出合った
それは 物体が高速に近づくほど
時間が延びるというもの

特殊学級の担任のころ
人には固有の時計があり
とくに障害を持つ子の多くは
ゆっくり時を刻んでいると気づいた

それに端を発して
人には生まれつき具わっている時計と
各人固有の刻み方をする時計があり
その時計で経験の内容を整えたり
因果関係も察していると気づく

さて
そんな時計で計られる時間は
意識の働きによって成り立っている
その意識の深層をつきつめれば
「永遠の生命」とつながっている

ああ
無心で咲く
このトケイソウも
永遠の生命」とリンク

*「今」には、これまでの経験だけではなく、38億年の生命史と今日の予定から目標や夢にいたる未来が入っている。「生まれつき具わっている時計」は、生物時計(体内時計)と呼ばれている。

2018年6月15日(金)
かすんで見える猿投山

 かすんで見える猿投山

梅雨らしいひと日
かすんで見える猿投山
こんななかでの読み聞かせ

このボランティア
始めて10年近くになる
このところは絵本に替えて
自作の詩を読んでいる

その自作の詩
その時期にふさわしい題を
あれこれと迷いながら選んでいる

でも どうもこれが
子どもたちの心にうまく届かない
そんなもどかしさが心に残る

こんなときは切り換えて
かすみをふっと吹き飛ばす
そうして山肌をしかと見据える
目に映らないものへの切り換え

*最近の読み聞かせでよく読んでいるのが、拙著『詩集 一生一度』北辰堂出版からの一詩である。

2018年6月9日(土)
アジサイの花言葉

 アジサイの花言葉

梅雨入りして
一段と鮮やかさを増してきた
我が家のアジサイ

こんななかで浮かぶ
Aさんからよく聞く言葉
○○教授が言っている
○○社長が述べている

Bさんからは
○○老師が言っている
○○経に書かれている
こんな言葉も耳に残っている

それはそれで
よいことであっても
いつも少し気になるのは
その人自身のこと

いやいや
これは私自身の影
外の威光を借りてはいないか

そう言えば
アジサイの花言葉
「高慢」もあると言う

*アジサイには、花の色が変わることから「移り気」、青色の印象から「高慢」などといった花言葉がある。

2018年6月2日(土)
山野の緑

 山野の緑

山野の緑が
日に日に深まり
人の目を和らげている

この緑
生き物たちの呼吸や
人の営みによる二酸化炭素
これを吸収し水とともに
日光でデンプンを造る

またこの緑
大量に降った雨水を蓄え
土砂災害も防いでいる

さらには
役目を終えた緑は
腐葉土となって
山野だけでなく
川や海の生き物たちの
養分となっている

この巡り巡る
自然の大きな循環
その中で人は生かされている

山野の緑
物言わぬ山野の緑
幾百年幾千年幾万年と
生き物たちを育み続けている

*光合成で造られたデンプンは、糖にもなり生物の活動や成長のエネルギーになる。

2018年5月25日(金)
サツキ花の美しさ

 サツキ花の美しさ

例年になく
よく花をつけたサツキが
春風に揺れていた

そんな庭で浮かぶ
哲学者の西田幾多郎は
善とは「真の自己」を知ること
このように述べている

そうして
「真の自己」を知るには
主客合一の力を自得すること
このように説いている

常日ごろの自分を
「第一の自分」とすれば
その「真の自己」は
「第二の自分」とほぼ同じ

「第二の自分」を知るには
電気で認識する世界から離れて
主観も客観もない世界を知る
これを自得することかな

そう言えば
サツキ花の美しさ
これを心に映すことは
宇宙を映すことに通じている

*西田幾多郎(1870~1945)は、41歳のとき『善の研究』を出版。ここでは、第42刷を参照した。

2018年5月18日(金)
天候までも

 天候までも

梅雨の走り
まだ5月というのに
かなり蒸し暑い
こんななかの不思議

このごろ毎朝
日本の聖人偉人
賢人諸氏の名を称える
芸術の分野では順に
鞍作鳥 山口大口資 将軍万福から

宗教の分野では順に
聖徳太子 行基 最澄 空海から
思想の分野では
林羅山 中江藤樹 山崎闇斎から

政治の分野では順に
織田信長 豊臣秀吉 徳川家康から
科学技術の分野では
北里柴三郎 牧野富太郎 豊田佐吉から
合わせて77人ほどの名を称える

そうするとそれが
幾つかの大河を成す
美」と呼ばれる大河
「慈悲」や「仁義礼智」などの大河
「政」や「関係性の」など大河
大河はやがて大海に至る


ああ
人の営みも国家も
今は揺れに揺れている
天候までも

2018年5月11日(金)
ケヤキの下で

 ケヤキの下で

県緑化センターの芝生園
ウグイスのさえずり
バラの香りを含んだ5月の風
ケヤキの下で太極拳

師範に合わせ
ゆっくりゆっくり
手足と体を動かす
呼吸も深く長く

そうして
地の気を吸い上げ
天の気を下ろし
体のなかへ

そのあとは
20人が車座で
おにぎりをほうばる
お菓子の差し入れもあり
みんなと一緒に食べると
一人でよりおいしいね」と

やわらかな湿り気のある芝生
圧倒的なあたたかな日の光
新緑からの小鳥のさえずり
車座の話し声も笑い声も
みんなみんな一つに

*太極は、朱子学の宇宙論では「宇宙の本体、万物の生成の根源」を指す。

2018年5月4日(金)
梅の木のそばで

 梅の木のそばで

梅の木のそばで
薩摩芋用のマルチかけ
この作業をしていて浮かぶは
やはり生命のこと

38億年前に誕生した生命
単細胞から多細胞生物へ進化し
古生代には 魚類そして両生類
中生代には は虫類が全盛となり
新生代には ほ乳類が全盛となる
約20万年前になってやっと
現代人のご先祖が登場

ヒトの進化の痕跡は
母親の胎内にまだいるときに
この気の遠くなるような長い歴史を
たった10か月でたどっていること

こんな驚きに加え
黙して目を閉じれば
心中に瞬く星々 そして銀河が
さらには巨大な大宇宙が現れる
そんな心を有していること

見上げれば
ほんの2か月ほど前に
いい匂いを発していた梅の花
今はも青い大きな実になっていた

*生命の誕生は、1.5億年さかのぼり39.5億年前になる可能性がある。大宇宙の大きさは、約430億光年と推計されている。

2018年4月28日(土)
テッセンの花が

 テッセンの花が

今年も庭で
テッセンの花が咲いた
薄紫色の八弁の花が
細い蔓に十数個ついていた

振り返って
我が身を思うに
若いころに比べて
体が硬くなってきた

考え方や
受け止め方も
気づかないうちに
柔軟さがあやしくなってきた

ここまでは
やむを得ず認めても
心の曇りまでは譲るまい

心の曇りを不断に除き
心の明鏡を不断に磨いて
そこに宇宙を映し出す
これ 人生の至福

ああ春風に
テッセンの花が
ゆらゆら揺られていた

2018年4月20日(金)
平安時代の先人方

 平安時代の先人方

初期は天皇の下に地方をまとめ
中期は藤原氏が摂関政治をし
後期は上皇が院政をする
これが平安時代の流れ

そんな流れのなかで
人々はひとえに
心の平安と往生を願う

まずは最澄が
どんな人でも仏性を有しているとし
つづいて空海は
自己の心を尋ねていくと
諸仏諸尊の集まった曼荼羅世界になる
このように説く

やがて末法の思想が広がり
空也はむずかしい修行をしなくても
「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるだけで
救われるとし
さらに源信は
極楽へ往生するには
ひたすら阿弥陀仏を思い称名すること
このように説く

平安時代の先人方
存在の実相と
この世を越えた世界を
時を超えてお察しか

*最澄は、一念三千を説いた天台智顗の天台宗を日本に伝えた。空海は、恵果から密教を伝授され真言宗を開いた。空也は、社会事業を多く行い市聖(いちのひじり)と呼ばれた。源信は観想念仏を広めた。

2018年4月12日(木)
ウグイスの囀り

 ウグイスの囀り

うららかな春空の下
ウグイスの囀りを耳に
スイカ予定地の畝づくり

人には
相手が何も言わなくても
どんなことを考えているのか
どんな気持ちかなどを推測し
自らの行動を変える力がある
この力がうまく働かないのが
アスペルガー障害の方たち

そんな障害はなくても
日常多々ある思い違いで
ボタンの掛け違いや衝突
これくらいのことは
分かるだろうと思い込み
放った一言が通じず
思わぬ大衝突

やはり
見れども見えず
聞こえれども聞こえず
人の認識は十人十色

うららかな春空の下
畝づくりに夢中になれば
聞こえれども聞こえず
ウグイスの囀り

*アスペルガー障害は、自閉性障害の亜型で言語能力の発達がみられないもの。

2018年4月5日(木)
もう葉桜

 もう葉桜

1週間ほど前に
満開になったソメイヨシノ
昨夜の強い風で
もう葉桜

思えば自分には
これが自分だと思い込んで
一生懸命に生きてきた
長い年月があった

でも
あるときから
これだけではないな
このように思うようになった

人には
肉体と共にある精神のなかに
「意識体」というべき意識のまとまり
そんなものがあることに気づいた
これが世に言う「魂」に近い

さらに
その「意識体」を包み込むように
ときにはその「意識体」の奥深くに
「第二の自分」があることに気づいた

これが無限と永遠にリンク

そうそう
我が旅立ちのときには
ためらいもなくいきたいな
桜の花びらが舞い落ちるように

* 3/8 改訂版

2018年3月29日(木)
春がすみのなか

 春がすみのなか

今日は春がすみ
例年より1週間ほど早く
ソメイヨシノが満開になった
そんな桜に誘われて浮かぶ

哲学者の西田幾多郎は
何かに夢中になっているときのように
主観と客観が未分化の状態を
純粋経験と名づけた

事物の認識には
脳に映す場所があり
その場所を意識野と名づけ
思考は意識現象でもあるとした

極めつけは
人が反省する以前の
「真の自己」との一致
これが「善」であるとした

そうそう
「真の自己」は
何もとらわれることはない
「第二の自分」に通じている
そこにあるのはやすらいだ静かさ

春がすみのなか
我が桜を見ているのと
桜が我を見ているのと
混じり合って一つに

*西田幾多郎(1870~1945)は、「西田哲学」の基本をつくった。

2018年3月23日(金)
早春の花々

 早春の花々

この頃の家の庭
紅梅に少し遅れて白梅
黄梅に少し遅れてコブシ
早春の花々が次々に咲いた

そんななか
今に始まったことではないが
書物を読んでも
すぐに忘却の海に沈む

それではと
心に掛かったことを
書き留めてみても
月日とともに忘却の海に沈む

さらにそれではと
書き留めたことを
実際にやってみても
年月とともに忘却の海に沈む

一番いいのはと
生活の一部にすること
この頃はこれを試している

それにしても
万物は留まることなく移り行く
咲いた早春の花々も
また移り行く

*初期仏教に三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)がある。そのうちの諸行無常は、諸法無我であるからでもあり、諸法無我は、諸行無常であるからでもある。

2018年3月17日(土)
江戸時代の先人方

 江戸時代の先人方

武家政治の
繁栄と衰退の江戸時代
仏教の外に儒教などが台頭

そんななかで
人々はもっぱら
現世の生き方を求めた

朱子学の林羅山は
読書や持敬での修徳を説き
山崎闇斎は「居敬窮理」を基にして
正直を大事にした「垂加神道」を説いた

陽明学の中江藤樹は
日常の倫理を大切にすることを説き
熊沢蕃山は実践倫理を基にして
心の主体性において選択をし
受け入れることを説いた

国学の契沖は
日本の古歌や古典から
日本人の情のあり方を探り
それを受け継いだ本居宣長は
日本古来の「真心」を知り
「もののあわれ」を知れと説いた

そう言えば
存在認識モードから見れば
儒教の理気説でいう「理」は「役割」に
「気」は「かかわり」に通じている

ああ
江戸時代の先人方
こんなことまでもお見通しか

*仁を説く儒教は、日本では朱子学・陽明学として展開。林羅山は朱子学の官学化を進め、山崎闇斎は藩校などで林家に並ぶ勢いを保った。中江藤樹は陽明学の祖、熊沢蕃山は陽明学派。契沖は国学の祖、本居宣長はその大成者。

2018年3月9日(金)
鎌倉時代の先人方

 鎌倉時代の先人方

激動の鎌倉時代
絶え間のない政権争い
2度にわたる元寇
天変地異

そんななかで
人々はひたすら
極楽往生を乞い願う

他力門の法然は
「南無阿弥陀仏」の称名念仏を説き
親鸞はこれを受け継ぎながらも
往生より還相の廻向を説き
一遍にいたっては
称ふれば 仏も我も なかりけり
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

自力門の栄西は
坐禅のなかに
真実の自己を自覚できると説き
また 道元は
只管打坐のなかに
世界そのものが自己となり
仏性が生き生きとはたらくと説く

日蓮は
心中には三千世界があり
仏界もそなわっているとし
題目「南無妙法蓮華経」のなかに
法華経の精神があると説く

人はどうにもならない壁に
突き当たるときがある
そんなときは称えればいい
「南無阿弥陀仏」と
あるいは「南無妙法蓮華経」と

しかし
心中深く入り込めば
巨大な世界があり
悠久の時の流れがあり
愛に支えられた我を知る

ああ
鎌倉時代の先人方
こんなことは既にお見通しか

2018年3月2日(金)
昨日は春の大嵐

 昨日は春の大嵐

昨日は春の大嵐
それでも我が家の庭
紅白の梅が対になって咲いた

ふと思うに
ここに植物ではない
動物としての自分が在る
命ある有機体としての自分が在る

生き物の本質的なことは
次世代へ命をつなぐ営み
そのおかげで今
地球には命があふれている

つい忘れがちなこと
この体に心が宿っている
その心が今
我と宇宙をつないでいる

我は
まことにはかない
小さな存在ではあるが
そんな自身を知ろうとしている
これは何ものにも替えがたいこと

先に咲いた紅梅と
八分咲きになった白梅の
今まさに饗宴

2018年2月23日(金)
人生の金メダリスト

 人生の金メダリスト

2月も下旬
お隣の韓国平昌では
大詰めの冬季オリンピック
メダルを手にした選手
はずむ喜び

とりわけ
金メダリストが
決まって口にするのは
支えてくれた人たちへの
感謝の言葉

この感謝の心こそ
かかわりづくりの引力
感謝の心のないところに
引力ははたらかない

金メダリストが
恵まれていたかと言えば
必ずしもそうとは言えない
怪我で練習ができなかったり
厳しい言葉を投げつけられたり
人とのかかわりで苦しんだりと

人生レースも同じ
世の中の冷たさ 苦しさ
煩わしさ 為すことのなさ
愛する人との別れの悲しさ
努力の報われない口惜しさ
病で不自由になった辛さ
老いて死に至る怖さ

このようなことに耐えてこそ
人生の金メダリスト
最後の言葉は
ありがとう

2018年2月16日(金)
我が家の白梅

 我が家の白梅

2月も中旬
寒さがやっとゆるみ
今にも花開かんとしている
我が家の白梅

手元のコーヒーカップ
般若心経の「色即是空」で言えば
コーヒーカップ即器の役割
「空即是色」に当てはめれば
器の役割即コーヒーカップ

存在には
他とのかかわりで
役割が生まれ
役割でかかわりが生まれる

存在は見えても
役割そのものは見えない
存在即役割 役割即存在
これが「色即是空 空即是色」

このような見方を
「存在認識モード」と名づける
これは4次元時空間の範囲のこと
でも これを超える見方がある

超えるからには範囲はない
つまりは無限であり
極大で極小 極小で極大
それは主客未分の世界であり
無心であり 「無」である

我が家の白梅の役割
春を告げ 芳香を放つこと
ああ そうそう
梅の実を結ぶこと
緑陰ををつくることも

2018年2月9日(金)
春に向かって

 春に向かって

連日の氷点下
北陸では数十年に一度の大雪
でも日に日に明るさが増してきた
ガラス越しの陽射し

NHK「心の時代」に
宗教学者の山折哲雄氏が
「ひとりをゆく思想」で出演

西行 親鸞 一遍を出しながら
人はいろんなものを手放し
やがて ひとり死を迎え
自然に還ると

その先は
空ではなく「無」
「無」は無限大の居場所
無私無心 無尽蔵の無
このように結んでいた

人生に「五計」
その最後に「死計」
これは 生死を超越した
生き方であり 死に方
これも「無」に通じている

このごろは
蝋梅が咲き始め
梅の蕾も大きくなってきた
日々一歩また一歩
春へ向かって

*「人生の五計」は、生計(この命の養い方)、身計(社会人としての在り方)、家計(家庭の在り方)、老計(人生の佳境の味わい方)、そして死計と言われている。

2018年2月2日(金)
未だに残っていた

 未だに残っていた

未だに残っていた
県緑化センター本館裏に
一週間ほど前に降った雪の塊

その本館で続く読書
哲学者の梅原猛氏に及ぶ
彼は 宮沢賢治を称えて
銀河系の宇宙も 一つの意識
人間の意識もそのような意識の一つの現れ
そんな銀河と人間の意識とを一つに
それが賢治の宗教でもあり科学と言う

さらに 彼は続ける
現代の科学の新しい知見
生きとし生けるものの生命
遺伝子によってつながっている
ここから明らかになることとして
自己を永らえさせようとする自利と
自己を犠牲にしても子孫を残そうとする利他
自利利他が遺伝子そのものに含まれていると言う

そうして 彼は熱く呼びかける
永遠の過去と永遠の未来が凝集した
自利利他の精神を自からもっている
この尊い人生を精一杯生きようと

そう言えば
空間論中に無限の意識
時間論中に永遠の生命
存在論中に真の幸福がある

自らもっている自利利他
これに気づくことが
その人の幸福になり
世界の幸福になる
世界の幸福が
個人の幸福になる


未だに残っていた雪の塊
両手にすくい上げてみると
氷の粒々が素直に溶けた

*ここでの出遭い本は、梅原猛著『梅原猛の授業 仏教』2002年、朝日新聞社である。

2018年1月26日(金)
じっと耐えて待つ

 じっと耐えて待つ

連日の雪化粧
厳しい寒さのときに
よく流行するのは
インフルエンザ

人の生き方
一筋縄ではいかない
どういう世の中になっているのかも
しばしば五里霧中

人の生き方
ほんとうは深いところで
日本の文化であったり
芸術 宗教 思想 政治 科学などと
幾重にもかかわり合っている

それらは
まるで透明な空気のように
まるで地下水のように
とらえどころがない

でも
紐のようなもので
結び示すことはできないが
それらとのかかわりが分からなければ
足元が心もとない

それはそうと
この厳しい寒さが去り
インフルエンザが収まるのを
じっと耐えて待つ

*日本列島は、1月中下旬からインフルエンザの猛威。例年は、「A型がまず流行り、B型が遅れて流行るが、今年は並行している」という。我が家も家内がインフルエンザ。

2018年1月20日(土)
穏やかな大寒

 穏やかな大寒

杜甫が詠む
人生70稀なり
古稀になって出遭う
穏やかな大寒

今では
日本男性の平均寿命は
80歳を超えている

でも
いかに長寿でも
心中にある巨大な世界
これを知らずして何としよう

人の認識は電気
でも 電気のほかにも
認識する仕組みがあるようだ
これを知らずして何としよう

穏やかな大寒とはいえ
我が家の前の茶畑は
霜の薄化粧

杜甫(712-770)は、唐の詩人。彼の「国破れて山河在り」で始まる「春望」は有名。

2018年1月14日(日)
昨夜の小雪

 昨夜の小雪

昨夜の小雪
所々に路面凍結
止むを得ない所用で
ひやひや運転

冬支度なしの車
急ブレーキ急ハンドル
スピードを抑えて
慎重運転

さいわい
後続の車はなく
対向車も少なかった
それだけでも運転しやすかった

ハンドルを手に
「第二の自分」を意識し
慎重に運転をしている
「第一の自分」を見守る

無事に
所用を終えて
2時間後には帰宅
これ「第二の自分」のおかげ

*当日は、「旧小原村内の土砂災害警戒区域」の説明会。外気温は自宅で3℃、目的地で0℃であった。

2018年1月8日(月)
心やすまる

 心やすまる

低気圧が
南岸沿いを進み
今日は 終日雨
体が重く腹に違和感

夕食はおかゆを食べて
ふとんに入るも
なかなか手足が暖まらない

こんなときは
無限の空間と
永遠の時間にリンクする
「第二の自分」をしっかり意識

「第二の自分」から
「第一の自分」を
温かく包み込む

夕食時には
だいぶ生気がもどり
気分もよくなった

それにしても
心やすまる
「第二の自分」

2018年1月2日(火)
静かな正月の朝

 静かな正月の朝

スーパームーンが西に沈むと
東の山際がオレンジ色に
やがてベージュ色に
静かな正月の朝

石油ストーブを背に
元日の賀状に目を通すなか
一日一日 人を愛し
自然を愛し
探究の筆先を養う
尊い人生に光あれと

皆 心の底には
おごそかなものを宿す
それを仏教では
仏性という

日本陽明学の祖
中江藤樹は
心に内在するものの発見こそ
天理にかなうと説いた

さて さて
その発見をどのように活かし
どのように生かし切るか
これが今年の眼目

ああ
光の柱とともに
立ち昇る日輪
つい合掌

*中江藤樹(1608-48)は、農耕をしつつ近隣に儒学を説き、近江聖人といわれた。天理は人為ではない天の正しい道理(広辞苑)。

2017年12月23日(土)
まめ・ちえ・とみ

 まめ・ちえ・とみ

まめ・ちえ・とみ
この3つが人生一般の最大福祉
これは日本近代哲学の父
西周の言葉

まめは 健康
ちえは 知恵
とみは 富有

たしかに
健康だけは間違いなさそう
さて そのために
自分のしていることは
早寝 早起き 朝ご飯
冷水摩擦に早朝ジョギング
日の光を浴びて一時ほどの畑仕事
息は 長く深く
体は ゆっくり動かす太極拳
こんなことかな

おかげで
快眠 快便 快働 快食
今しばらくお世話になるこの体
内なる声に耳を傾け
おつきあい

むしろ
西周の言いたかったのは
個人より 国家に対して
まめ・ちえ・とみを守ることが
政治の大事な役目

*西周(にしあまね)(1829-97)は、明治期の官僚・学者・思想家。なお、本詩は、清水正之著『日本思想全史』2014年、ちくま新書 を読みながらの作。

2017年12月17日(日)
コトネアスターの赤い実は

 コトネアスターの赤い美は

寒さを避けて
県緑化センターでの読書
本館前で出合ったコトネアスター
その鈴なりの赤い実

読書は日本の思想史
初めは 仏教が主流
奈良時代は南都六宗
平安時代は天台宗と真言宗

そうして
鎌倉時代には
禅宗 浄土教 日蓮宗と
それぞれ大きな思想の流れ

江戸時代になると
儒学が主流になり
人の道を説くが
それとは裏腹に
国学が芽生え
人の情を説く

心に残っていること
陽明学の中江藤樹曰く
心の内在するものの発現こそ
天理にかなっている
古義学の伊藤仁斎曰く
道徳の基本は仁
仁を一言で言えば愛

聖賢の
すさまじい眼力
今に知るべし

そう言えば
コトネアスターの赤い美は
知恵のみ

*これは清水正之著『日本思想全史』2014年、ちくま新書 を読みながらの作。

2017年12月8日(金)
サザンカが

 サザンカが

冷たい北風が
電線に触れてヒューヒュー
こんななかでもサザンカが
つつましく咲いていた

事を確かに見すえるには
時間的歴史的な見方
空間的地理的な見方
この2つがいる

事がよくわかるには
時間を縦軸として
空間を横軸として
この交点をとらえること

事が深くわかるには
交点にあたる
役割とかかわり
これをとらえること

さらに深くわかるには
点と無限大
瞬間と永遠
自在に行き来できること

冷たい北風のなか
命の香りを放って
赤く燃えていた
サザンカの花

*今執筆しているのが、「孫子に残したい日本の姿」(空間論)と「孫子に残したい日本人の姿」(時間論)である。

2017年12月2日(土)
うっすらと初霜

 うっすらと初霜

今朝の冷え込みで
我が家の前の茶畑に
うっすらと初霜

ふと山田無文老師の言葉を思い出す
「維摩経法話」のなかで
三心をあげ その一つに
深心があるという

深心というのは
心の奥深くには
嬉しいとか悲しいといった
感情の届かないところがあるという

心理学者のC・G・ユングは
コントロールできない無意識のなかに
先祖から受け継いだ集合的無意識があるという

仏教の唯識では
意識の下に末那識があり
末那識の下に阿頼耶識があるという

とにかく
心の深いところには
普段は分からないものがある
でも 何かのきっかけで気付くことがある

茶葉に近づいて
ふっと息をかけると
たちどころに消えた薄霜

*山田無文老師のいう三心というのは、①直心、②深心、③菩提心である。

2017年11月24日(金)
深くて長い呼吸

 深くて長い呼吸

昨夜の雨も上がり
冷たい北風が吹くも
今朝は明るい日の光
そんななか太極拳教室で

謙遜して友人曰く
「私なんか息をしているだけ」
すかざず曰く
「それが 大事
息をすることは天地と一つになること」

振り返ってみれば
呼吸は体内に酸素を取り入れ
二酸化炭素などを出す営み
この営みでもって
生きる力を得ている

でも
これだけではなく
もっと大きなものを得ている
宇宙に充満する「気」

ある歳になったら
この「気」を意識し
この「気」とともに生きる
この境地を味わいたいな

そう言えば
この太極拳
ゆっくりした動きに
深くて長い呼吸

2017年11月19日(日)
麗しき日本の文化

 麗しき日本の文化

朝晩はめっきり冷え込み
紅葉が見ごろになった
そんななかで思う

政治家が政治だけを考えていても
文化の下地がなければ人は動かない
商人が売ることだけを考えていても
文化の下地がなければ商品は売れない
その文化は 空気のようなもの
空気がなければ生きていけない

さてさて
「日本の文化」
神話の時代からあるのは姿なき神々
そのなかには「恥の文化」
そして「和の文化」があった

やがて5世紀ごろから
日本は 仏教を取り入れ
「和の文化」に「敬の文化」も入れた
続けて中国から儒教も取り入れ
「敬の文化」に「礼の文化」も入れた

そうして
千数百年の時が流れ
今や「絆の文化」も醸成されてきた

「絆の文化」は
そこに住むすべての人が
何らかのかかわりととつながりを持つ
自分の命は他の命とのかかわりのなか
他の命だけでなく形あるものも
形のないものもかかわりのなか

これら「日本の文化」の意識
もっと周りの人に
もっと周りの国に
もっと世界に広がればいい

美しいものを美しいと
紅葉を愛でる文化も
麗しき日本の文化

2017年11月11日(土)
バラの花が一輪

 バラの花が一輪

先月は台風が2つ続けて襲来し
秋雨前線が元気づいて記録的な雨
そんな天候でもバラの花が一輪
庭の小陰でよい香りを放っていた

今朝は雨も上がり
中山小の記念式典
子どもたちによる
「100年のあゆみ」では
わずか20分で100年を紹介
映像に言葉を添えて15名で発表
すごいことをたやすくやってのけた

子どもたちによる
「誓いの言葉」では
「まじめで思いやりのある子」
「積み重ねの自覚が大事」など
言葉が1つ1つ胸に響いた
これら言葉は大人も大事

子どもたちによる
「校歌斉唱」では
4年生以上とあって
やや低い声ながら
のびやかで美しい歌声が
快く心に響いた

そうそう このバラ
長雨あり 台風あり
苦しいときは頭を低く垂れていた
そうして耐えた分よい香り
これは人も同じだ

*子どもは、育っている環境を映す鏡。児童のよさは、教師集団のよさ、そして保護者・地域社会のよさを映す。

2017年11月3日(金)
あたり一面花畑

 あたり一面花畑

今日は文化の日
このころになると
きまって我が家の庭には
白 黄 橙 桃 臙脂の
小菊が咲く

晴耕雨読がほぼ定まり
いっそう心が向かうのは
草花や樹木の移ろい
鳥や虫の鳴き声
風や雲の動きなど

そんな暮しのせいなのか
歳のせいなのかわからないが
自然がさらに身近になった気分
ときには身近どころか
自然と一つに

庭の小菊に近づき
そっと目を閉じて
香りをかぐと
あたり一面花畑

*「自然と一つにのとき」が、なぜか「一番安らいだとき」に感じる。

2017年10月26日(木)
こんな星空を見ていると

 こんな星空を見ていると

日が短くなり
日課の今朝のジョギング
オリオン座を取り囲むように
大犬 小犬 双子 馭者 牡牛と
各星座のおもな星が
くっきりと見えた

こんな星空を見ていると
自分が透明になって
大宇宙に吸い込まれ
一つになって行くようだ

もとより
自分の存在は
父母から命をいただき
家族を始め周りの人々や社会
無数の生き物たちや地球環境
これらに支えられている

おおよそは
ここまでは分かるのだが
さらに大きなものに支えられ
生かされて生きていること
ここが分かりにくい

でも
こんな星空を見ていると
何となく分かってくる
大きなものに支えられ
生かされて生きていること

*「第二の自分」は、ときには「生かされいる大きなものの分身」のように見えてくる。

2017年10月20日(金)
来し方行く末を

 来し方行く末を

受信メールに
「来し方行く末を正確に見据えて」と
なんとなくいい響き
なぜだろう

「来し方」は
自分の歩いてきた道であり
我が国のたどってきた道でもある
そんな過去のこと

「行く末」は
自分の歩もうとする道であり
我が国のたどろうとする道でもある
そんな将来のこと

ここに
「今」は一言も入っていないが
「来し方行く末を大事にすること」は
「今を大事にすること」とほぼ同じ

ほぼ同じというのは
「来し方」という棒と
「行く末」という棒によって
「今」が支えられているからだ

そう言えば
「今を大事にすること」があって
それで 快く響いたのかな
「来し方行く末を正確に見据えて」

*受信メールに、拙著「孫子に残したい日本の姿」について、「来し方行く末を正確に見据えている」とのコメントがあった。

2017年10月14日(土)
降り続く秋雨

 降り続く秋雨

遥か南には台風
そして列島には秋雨前線
今は暖気と寒気のせめぎ合い

秋本番を迎えて
静かに流れ来たり
流れ去って行く時の流れ

かたや
目前の鉛筆やノートなどを映す
生活空間を突き抜けて
背後にある宇宙空間

それらに向かう心境は
永遠と無限を映さんとする
静かなる水鏡

そこでは
永遠の中にあって一刻を刻み
一刻の中に永遠を映している
無限の中の生活空間にあって
生活空間の中に無限を映している

ああ
降り続く秋雨
秋野菜を育むだけでなく
人の心を静めている

*生活空間は、普段の生活で認識できる程度の空間のことである。

2017年10月5日(木)
天高く咲いた秋桜

 天高く咲いた秋桜

畑の片隅で
天高く咲いた秋桜
夏の間は枯れかけていた
こんな秋桜に誘われて思う

内観のテーマに
してもらったこと
して返したこと
迷惑をかけたことがある

これは
してもらったことが
して返したことに比べ
はるかに多いことに気づき
人に迷惑をかけたことも
いかに多いかに気づくこと

そうして
これまでの自分を受け入れ
かかわった他人をも受け入れ
本来の姿に気づこうとするもの

内観は
否定の底を突き破って
再び肯定に至って
本来の姿を見つける
そんな過程に似ている

そう言えば
人生の旅路で
どん底を味わうこと
あながち無駄ではないな

枯れかけていた秋桜
今は3メートル近くになり
悠々と秋風に揺れていた

2017年9月29日(金)
なおちゃんが居る⑵

 なおちゃんが居る⑵

我が家に
もうじき4か月になる孫
なおちゃんが居る

この頃できるようになったこと
ゴロンと腹ばいになって
頭を持ち上げること

腹ばいで
見える世界が一変
自分の力でまっすぐ
前を見ることができる

そんなことが
周りの大人の
心を動かし
拍手を誘う

長い人生の旅路
穏やかな旅だけではない
暴風雨あり大地震あり
でこぼこ道あり
山あり谷あり

そんななかでも
自分でまっすぐ前を向く
その姿に拍手

人生のスタートは
みんなこんな姿でも
いつの間にか忘れている

2017年9月23日(土)
紅白のヒガンバナも

 紅白のヒガンバナも

今年は
紅白のヒガンバナが
ほぼ時を同じくして咲いた
こんななかで浮かぶ

「第二の自分」はない
このようにとらえている人には
いくら心の内を覗いていても
それは一向に現れない

ぎゃくに
「第二の自分」はある
このようにとらえている人には
心の内を覗いていれば
やがて現れる

現れ方は
無限と永遠の間に
ためらいながらもズバッと現れる

「第二の自分」は
学んでつかむのではなく
体でつかむもの

秋風にそよぐ
紅白のヒガンバナも
「第二の自分」をつかむ
縁となっている

2017年9月16日(土)
台風18号が近づき

 台風18号が近づき

台風18号が近づき
秋雨前線が活気づいて
しとしととよく降る雨

こんな天気のためか
心が向かいがちなのは
外の世界ではなく
心の内側

歳をとると
少しずつ視力や聴力
記憶力までも衰えてくる
何よりも体の柔軟さが衰える

でも
衰えたその分
心の内を覗く力が高まる

心の内を覗けば
広大無辺の世界と
悠久の時の流れがあり
「第二の自分」がそこに存する
こんな力強い味方はない

しとしとと降るこの雨
心の内を垣間見る
縁となっている

2017年9月7日(木)
畑違いなんのその

 畑違いなんのその

秋雨のころ
どこの畑でも目にする

小さな紫の花を咲かせるツユクサ

テレビで目にした畑違いの人の対談
理論物理学者のO氏と
宗教学者のY氏

もとより 追究する対象も
心の外に対して内と大違い
方法も 数学や仮説に対して
ヨガや瞑想などと大きく異なる

話が「人の幸せ」に及ぶや
O氏は与えられた機能を発揮しているとき
Y氏は人のために生きているとき
このような違いを述べている

待てよ
その「与えられた機能」に
人のために生きること」を含めれば
幸せでは畑違いでも同じになる

そうそう
「人のために生きなければ人は幸せにならない」
この言葉の主は 宮沢賢治かな

畑違いなんのその
茎の節からも根を出して増える
たくましいツユクサ

2017年9月1日(金)
朝晩の風は

 朝晩の風は

今日は
南の高気圧から
北の高気圧に変わり
からっとした暑さ

子どものころの魚とり
水面に浮かび上がってくる
獲物をさっとすくい上げる
これはなかなか上手くいかなかった

今の心がけ
心に細波が立ったそのとき
見過ごさずにどうしてかと
立ち止まって
振り返ってみること

ここで よぎる言葉は
ティク・ナット・ハン師の
「自分を見失わないこと」
「自分の面倒をみる力をつけること」

ああ そうそう
その「第一の自分」もいいが
いつも温かく見守っている
「第二の自分」がある

日中はからとした暑さ
それでも朝晩の風は
もう涼しいくらい

ティク・ナット・ハン師(1929-)は、ベトナム出身の禅僧で、米・仏を中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動をしている。

2017年8月24日(木)
なおりゃんが居る

 なおちゃんが居る

我が家に
もうじき3か月になる孫
なおちゃんが居る

目覚めているときは
おっぱいを飲むこと
しっことうんちをすること
手足をばたばたすること
泣くこと 笑うこと

先日
お風呂であやすと
声を出して満面で笑った
そんなことが周りを明るくする

なおちゃんのような
きれいな心で見ると
きっと見るものすべてが美しく
世界がそのまま自分になるに違いない

なおちゃんは
人生のスタートが
どのようなものかを
その姿で示していてくれる

人生のゴール近くも
世界がそのまま自分に
そんな心境で迎えたいな

2017年8月19日(土)
朝方の夢

 朝方の夢

朝方の夢
次の書名を問われて
「空」と「無」が見え隠れしてか
「四季開眼」と応えた

ここでの「空」は
事物は縁で成り立ち
固定的な実体がないこと
ここでの「無」は
時空を超えてみれば
もともと何もないこと

夢から覚めて思うに
大所高所などから広い目で見る
成り立ちなどから長い目で見る
本質や根本は何かと深い目で見る
こんな経験を積み重ねればいいのかな

いやいや
「第二の自分」から見る
さらには 無心で見る
そこまでいかなければ
「開眼」にはおこがましい

ああ
青い夏空に 白い綿雲
夏風にゆられる緑の小枝
静かに過ぎ行く夏のひと日

2017年8月12日(土)
みんな同士だ

 みんな同士だ

友人に誘われて
名古屋駅裏の国鉄会館へ
そこでシベリアに抑留された
H氏とY氏の話に耳を傾けた

戦時中のH氏は
千島列島北端の島で通信傍受
そこでの活動などを通して
どこで歴史のズレが生じたかも
90歳とは思えない熱弁で語られた

僧侶のY氏は
極寒のなかの厳しい抑留生活
そこで日本人がソ連軍にされたこと
その前には日本兵が原住民にしたこと
それら慰霊と謝罪の訪問を重ねて
「お互いの怨讐を超えて」と
その胸の内を語られた

なかでも心に残ったことは
話し合いは何年かかってもいい
決して武力を使わないこと
命あるものはみんな同士だ
そんな92歳の熱い思い

もとより
互いの国の事情はあるにしても
話し合ってなんとか着地点を見出す
このねばり強さがものをいう
人と人との交わりも同じだ

2017年8月5日(土)
ざあっと降る雨

 ざあっと降る雨

今日は地域の夏祭り
午前1回 午後2回と
ざあっと降る雨

ここに一本の棒
これを長いと見る
短いと見るかは

何かと比べての見方

人の立ち位置
右と見るか左と見るか
上と見るか下と見るかは
他人や何かと比べての見方

人が生まれ
育っていくなかで
環境への適応力を身につける
これは分別智によるところが大きい

ところが
分別智によらない
無分別智なるものがある

ざあっと降る雨
恵みの雨でも
災いの雨でもない
それは ただ降る雨

2017年8月1日(火)
蒸し暑さなんのその

 蒸し暑さなんのその

今年の夏は
太平洋高気圧の張出しが弱く
南海上には迷走する強い台風
列島には湿った空気が流れ込む

こんななか
友人との会話が浮かぶ
「死に際して人間の魂は
宇宙の背後にある精神的な存在の中に
再吸収される」という
歴史学者トインビーの言葉

そう言えば
人の魂については
こころを想定すればいい
それも細波の立つ表層ではなく
深層や中核を想定すればいい
宇宙の背後にあるについては
四次元時空間を超えること
これを想定すればいい

さてさて
四次元時空間を超えるには
137億年の宇宙史と
38億年の生命史
430億光年の宇宙空間
このような時空にあって
これを脱することかな

いやいや
蒸し暑さなんのその
それになりきればいい
ただただ無心になればいい

*A・J・トインビー(1889-1975)著『トインビーと”あなた”との対話』毎日新聞社参照。南海上の台風は5号。